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2023年 初春の挨拶 [巷のいのち]

謹賀新春


A Happy New Year !


С Новым Годом !


  新しい年が明けました。今年なお元気なうちは、自慰めく戯れ言を綴りそうですが、どうかご容赦下さい。写真は、山梨県東端・上野原市の二つの里山の頂上から望んだフジヤマです。年の瀬のコヤシロ山(600m)では青空が澄み渡り、年が明けて登った八重山(531m)は、ぼた雪でした。ただいずれの富士も、2年前の冬の、今は昔の古い富士です。山歩きが叶わなくなった今の僕には、忘れ難い景色となりました。青葉の蔭に赤い実をつけた小さな木は、いま我がアパートの庭を飾る「万両(まんりょう)今年も宜しくお願い致します。


 


      2023年 元旦 タジリ ハジメ


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                       2023年 元旦 タジリ ハジメ


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ウクライナ裏面史物語(宝島社) [読後感想文]

ウクライナ裏面史物語(宝島社)

 

 友人紹介のこの本を図書館から借りて中を開くと、写真と文章が半分づつでとても読み易そうなので、時流に乗って売らんかなの安直本、と思ったら、違っていた。ウクライナにド素人の自分が言うのもおこがましいが、その創世記から今日のゼレンスキーに至る歴史が暗黒面(裏面)を含め、実にフェアーに扱われていると感じたからである。

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 読みながら、この国が過去いかに過酷な運命にあったかを再認識せざるを得なかった。蒙古軍により13世紀にキエフが陥落して以降1991年のソ連崩壊まで実に751年もの間、ウクライナの地は蒙古のみならずリトアニア、ポーランド、オーストリア、ロシアの各帝国の支配下にあった。

 あまつさえ他国支配下のその地で、おぞましい出来事が起きている。例えばそれは、ポグロム(ユダヤ人迫害)。1920世紀にかけて発生したポグロムの結果、10万人以上のユダヤ人が殺害された。例えばそれは、ロマ人(ジプシー)の迫害。彼らは差別を受け、多数が殺害されている。例えばそれは、ホロドモール(餓死)。ソ連誕生後まもなくのスターリンによる自作農撲滅と農業の集団化政策により、数百万人が餓死している。

 だが、その新生ウクライナが、1991年独立後の経済危機の中とはいえ、いくつかの疑問の余地のある行動に手を染める。財政破綻により売る物が無くなった挙句、死の商人となりテロリスト等に兵器の大量輸出をしたこと。或いはまた、空母を売って中国に初めての空母「遼寧」を備えさせたのみならず、同国に2000人の軍事技術者を派遣、中国の軍需産業のレベルを向上させたこと。更には、北朝鮮の誘いに乗ってミサイル技術者を派遣し、同国のミサイル技術を飛躍的に伸ばしたこと。

 かてて加えてウクライナは(僕など全くと言っていいほど知らなんだが)、この2月にロシアが侵攻した時点でも名だたる汚職天国のため、欧米の評判がすこぶる悪かったらしい。そもそもコメディアンのゼレンスキーが2019年の選挙で73%という高い得票率で大統領に当選したのは、その前の4年間にわたり放映されたテレビドラマ「国民の(しもべ)」で主人公を演じたからだった。その中で彼は汚職と戦う大統領を演じ、汚職にうんざりしていた視聴者の心をぐっと掴んだらしい。ところが彼が大統領に就任後、政治の腐敗がますます進み、ついには彼自身の脱税による8億5千万ドルもの荒稼ぎの疑惑が浮上すると、人気が一気に20%台にまで落ち込んだ。

 そこに突然起こったのがプーチンによる侵攻劇。主人公が一転、侵略者に向かって拳を振り上げ国民に檄を飛ばすと、状況は劇的に変化した。遠く離れた日本でテレビや新聞を見る僕などに映るゼレンスキーは正義の味方で格好いい。対するプーチンは何とも陰険な目付きで、冷酷無残な雰囲気を醸している。

 77年以上も生きてそれなりに沢山のことを学んだと思っていたけれど、この本を読んでつくづく思うのは、摩訶不思議な世の中のことなのだ。学んでも学んでも、そのそばから確信が壊れて行く。まあいいか、最後に思うことこそ正しいと、そう思い込むしかすべもない。

 ところで第48代横綱の大鵬はロシア系とは言われていたが、この本によれば父親はハリコフ出身のコサック兵で、ロシア革命当時、日本領だった南樺太で日本に亡命した人だった。オデッサには大鵬の銅像まで建てられているらしい。彼は、本当はウクライナの血を引いていたんだ。ほんまこの世は知らぬことだらけ。

 写真の樹は1カ月半前、後楽園の礫川(れきせん)公園にサトウハチローのちいさい秋(ハゼノキ)を訪れたとき、その近くで見掛けた桜の木である。桜は、花と違ってその紅葉を思い出に残そうと思ったこともないが、なぜかこればかりは気に懸かり、思わずスマホを翳していた。

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(2022年12月28日)


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ちいさい秋、ながい秋 [巷のいのち]

ちいさい秋、長い秋


 


 いま静かな、余りにも静かな時間が流れている。歳を取るとは、こういうことなのか?年を追うごとに新しい人との出会いは無くなり、古い知り合いとの縁も段々と薄くなる。電話は、オレオレ詐欺めいたものしか鳴らず、手紙も来ない。一時は処理に大わらわだったメールさえ、今じゃ稀に届くくらいだ


 20203月末に準公務員の仕事を辞め、その一週間後の47日に新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発せられてからは、ひたすらアパートに閉じ籠り、まるで座敷牢のような孤独な暮らしが始まった。その頃からである、フェイスブックへの投稿が急に増え、それまで触れた事もないブログにまで手を出していた。書くのは、散歩の折に出遭う花鳥や虫、それに読んだ本の感想など。


 どうしてそうなったのかは、自分にも分からない。絶え果てた人との交流をSNSの世界に求めているのか、それとも、自分の生きざまを自分自身に問うているのか?いつの間にか、日に何回もフェイスブックを開く癖がつき、「いいね」のそばに友人知人の名前を見付けてはホッとしたり、あいつ今頃どうしてるかななどと思いを巡らすときもある。


 座敷牢からは時々抜け出すけれど、行先は、いつもの散歩道の他には電車でせいぜい数駅先の庭園が精一杯。この秋は地下鉄後楽園駅そばの礫川(れきせん)公園を三度も訪れた。87年も前サトウハチローが詠った「ちいさい秋みつけた」のハゼノキを見るためだった。最初に見た10月の末は一部がもう橙色に色付いていたけれど、全身が紅く染まったのは11月も下旬、そして三度目に訪れた12月の15日は、あらかた葉を打ち落とした中になお数葉が梢の先で入日色に輝いていた。色付き始めてから数えれば既に1カ月半・・・ちいさい秋は、ながい秋だった。

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20221225日)


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イブの庭 [巷のいのち]

イブの庭

 

 母逝って一年後の命日の日、弟から電話があって、飛騨に住む従弟(叔父の息子)の病いが悪化、危険な状態と知らされた翌日には、ふる里からの訃報が届いた。僕よりひとまわり若く、最後に見た母の葬儀の時はとても元気そうだったので、未だに信じられない思いである。懐かしい人が一人また一人と別の世界に旅立って行く。地球の人口が80億人に満ちるというのに、僕の内なる世界はまるで晩秋の景色だ。

 それでも今日はクリスマスイブ。アパートの庭では桜も欅も朽ちた葉をすっかり失い、ひとり満天星躑躅(どうだんつつじ)ばかりが紅に輝く中、ささやかなイリュミネーションが飾られ、陽が落ちるとサンタが橇に乗って降りて来た。

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 帰宅学童のパトロール稼業も3年目の冬に入って、70歳もの年齢の差に怯む気持ちが薄らいだのか、最近では小学新入生ともまともに口が利けるようになった気がする。パトロールが目的だから出来るだけ口を噤むようにはしているが、話しかけられたら自然体で応えるようになった。新入生の中にクイズとナゾナゾが好きな子がいて、他の学童がいないときはこんなジジイにも挑んでくる、「クイズとナゾナゾ、どっちにする?」。どっちを選んでも、年を経て硬化した頭には解けないものばかり。先日などは我がレベルを慮ったのか、別れる間際の最後のクイズは、「トイレでするものな~あに?」。声を潜め、ウ〇〇と答えると、「セイカ~イ!」、びっくりするほど元気な声だった。

 友よ、一つの世界が冬枯れるその先に真新しい世界を垣間見た、そんな気がした晩だった。

 

20221224日)


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「シベリア強制労働収容所黙示録」(空き缶と靴下) [読後感想文]

「シベリア強制労働収容所黙示録」(空き缶と靴下)

 

 シベリアのラーゲリで最長の11年間を過ごした福原士官の物語(シベリア強制労働収容所黙示録)を読みながら、ついつい僕は先に読んだ竹原中佐の「抑留記」の体験と比較していた。後者の場合、糞尿譚が圧倒的に多かったけれど、それは多分もともとが人に読ませる目的で書かれたものではなかったからと思われる。今度の本では13頁で僅か「用便しても紙で後始末しないソ連人」と言及されているのみである。「抑留記」の方では、竹原中佐自身は、コートの内張を少しづつ切り取って使ったとあった。いずれにしても当時のソ連には(少なくともシベリアには)トイレットペーパーそのものが無かったのだ。そこで思い出したのが、その約30年後に僕が駐在したソ連のことだ。その頃、紙はあったには有ったが見たこともない粗悪品で、それとて無いトイレが殆ど、たとえ有ってもつるつると滑るよな紙だった。そんなソ連、ロシアで人に会うときは、必ず手と手を固く握り合ったものだった。

 この本の中には、「抑留記」に無かったエピソードが二つある。一つは鮭の空き缶(273頁)、「ソ連では、鮭の缶詰など、国民は食べられない。したがって、空缶があるはずはない。みんな満州で戦闘中に食べた鮭缶だ。なぜか、私たちは空缶を袋に入れたり、腰にぶら下げたりして入ソした。シベリアには食器がないのを予感したわけでもないだろうが、この空缶は、食器にもなれば、物入れにもなって、ずいぶん重宝したものだ」。

 エピソードの二つ目は「靴下」(47頁)、「日本兵は万年筆や時計、薬品から靴下までカンボーイ(警護兵)に奪われた。ソ連兵は靴下を知らなかった。靴下は布切れだった。『ハラショウ。日本には、かくも調法な物があったのか。日本は文明国である』。ひどく感心し、『戦争は下手だが、文明は世界一』という妙な称号をもらった。靴下なんか、どんな国でも履いている、といおうと思ったがやめた。(中略)それからというもの、布切れならなんでも背嚢に突っ込んで、靴下がわりの予備を蓄えた」。以上二つのエピソードは、戦後のソ連に如何に物資が欠乏していたかを物語る。その30年後に僕がモスクワへ赴任した頃さえ、日本人はトイレットペーパーを必ず携行したものだった。

 それもこれもすべては20世紀のことだった。最後の10年間でソ連崩壊に伴い新生ロシアが誕生。社会主義から資本主義への苦難の道を経て21世紀に到り、更に22年。と今度は自らの選択でかって血を分けた兄弟国に侵攻。何ともはや忙しい国である。

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 1カ月以上前、母の一周忌でふる里の飛騨に帰った日は、常にない数の雪虫が舞うのを見た。それかあらぬか今ごろ北の地は豪雪で、わがふる里も雪に襲われたと聞く。東京も寒気が厳しくなり、アパートの庭の桜木も紅葉をすっかりうち落として、裸の枝に留まる鳩さえが精一杯羽根を膨らませながら、寒そうに首を竦めている。

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20221221日)


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モミジの炎秋(小石川後楽園) [巷のいのち]

モミジの炎秋(小石川後楽園)

 

 先日の師走の中日に訪れた小石川後楽園、そこで出遭った黄色い秋は前稿で紹介した通りだが、実を言うと圧倒されたのはモミジの紅葉の方だった。あっちのモミジもこっちのモミジも真っ青な空を背に陽と戯れ、全身をくねらせている。あるものは濃淡とりどりに妖しげに輝き、あるものは真っ赤に燃え盛る。炎の舌の先には43階建ての東京ドームホテルと東京ドームの白い屋根が見え隠れしていた。まるで60年も若返ったよな気になって、群がる美女たちに次々とスマホを向けた我れ。そんな中から7枚を、ご覧あれ。

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20221220日)


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都心の秋(小石川後楽園) [巷のいのち]

都心の秋(小石川後楽園)

 

 1215日は師走の中日、この日は夕方の学童パトロールが非番のため、どうしようか迷った挙句、また性懲りもなく秋の名残に触れようと、都心の「小石川後楽園」に向かった。白塗りの土塀沿いに進むと、庭園の中から真っ黄色に着飾った銀杏の木が秋空を背にそそり立っていた。フランク永井が歌う「公園の手品師」だった。

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 門を潜ると、常緑の葉の下、地にも届けとばかりたわわに連なる赤い実は、正月の縁起物の万両。ここは江戸の初期、水戸藩主・水戸光圀の世に造られた水戸藩中屋敷跡。東京のど真ん中に位置するため、今じゃ樹々の梢の上には高層ビルが顔を出し、中でも目立つのはすぐ隣に聳える地上43階の東京ドームホテル。

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 ぶらぶら歩くうち、人の背よりも低い灌木の黄葉に出遭った。先日王子の名主の滝で見掛け公園事務所に訊いて教えられた、あの黄葉に似ている。最後に門を出る時窓口で、素知らぬ顔を装ってスマホの写真を示し、これ何の木?と尋ねると、窓口の女性はスマホを手に取って奥に消えたが、暫くして戻って曰く、(いぬ)枇杷(びわ)ですと。てな次第で覚えたての知識に裏付けを得たが、さてまた来る秋があるとして、それまでこの名が記憶に留まるかは神のみぞ知る。ただ、最初の「犬」だけは多分思い出せそうだ。何故って、春に道端に咲く瑠璃色の花が「大のフグリ」と聞いて驚いたことがあるからだ。それは、草花の名に付く「犬」がドッグに非ず、似て非なるものだということを、初めて知ったときだった。

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 最後の写真にある橙色の実は、梔子(くちなし)の実である。実は、今は亡き渡哲也が「くちなしの花」を歌った頃は、それがどんな花なのか知らなんだ。初めて見た「くちなしの白い花」は、失職しコロナが蔓延り始めた3年前の春、そしてその実を見たのはその年の秋だった。

 昨日、このクチナシの実の写真を何気なく商社時代のライン仲間に送ったら、退職後に樹木医に化けた同期の男から、「将棋盤・碁盤の脚ぞ」とのコメントが寄せられた。まさか?と思って調べたら、本当だった。脚の材に梔子が使われているということではない。脚の形が、熟れても割れない梔子の実に似ているからだった。おまけに碁・将棋の世界は指し手同士の真剣勝負、脇から口を挟むな(口出し無し)という戒めをも兼ねている。喜寿を超えた今、何の得かは知らねども、また一つ賢くなった。持つべきものは、やはり友?

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202212月19日)


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幻の年賀状 [忘れ得ぬ人々]

幻の年賀状

 

 師走も半ばを過ぎて、そろそろ年賀状の準備をしようとパソコンの年賀状ソフトを開くと、昨年準備した文案が残っていて、その一つに目が釘付けになった。それは母に宛て書き始めた年賀状の裏面だった。この直後、母が郵便の届かぬ世界へ旅立ったため、印刷されぬままパソコンの奥に眠っていた幻の年賀状。そして今日は母逝ってちょうど一年目の命日。先月13日の一周忌には、ふる里の村を見下ろす山裾の母の墓に初めて参った。あの時スマホに収めた彼岸の名前を改めて見てみる—「福壽妙斐大姉」。この一年、みんな何とか頑張ったよ。母ちゃん、父ちゃんと弟達のそばで安らかに眠れ。

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20221218日)


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「シベリア強制労働収容所黙示録」ともう一つの侵攻 [読後感想文]

「シベリア強制労働収容所黙示録」ともう一つの侵攻

 この本は著者・小松茂朗(一般の戦争捕虜として3年間ソ連に抑留)自身の体験談ではない。彼がもと見習士官の福原三郎(以前紹介した「抑留記」の竹原 潔と同様に戦犯として最長11年をラーゲリで過ごした)から聞いた話しを物語風に綴ったものである。

 ソ連が日ソ中立条約を破って突如満州に侵攻して来た有様を読むうち、ふと既視感に襲われた。それは、いま目の前にあるロシアのウクライナ侵攻のことである。今年224日ウクライナに侵攻したロシア軍は16万人、一方77年前満州になだれ込んで来たソ連軍は何と150万人。当時満州にいた関東軍は75万人だったが、その大半は現地招集のポンコツ部隊。ソ連軍は軍用機3,500機、戦車5,500両、火砲26万本という物凄い機動力、対する関東軍の機動力は皆無に近く、僅かに旧式の歩兵銃が二人に一つ、のみならず弾丸の予備がほとんどないという有様だった。

しかもしかもだ、この本によるとほとんどのソ連兵の手首に数字の刺青があり、中には足首に鉄の輪が嵌められていた。即ち、満州に侵攻したソ連兵の多くは直前まで監獄に閉じ込められていた囚人であって、彼らは「満州で略奪、強姦、殺人をくりかえした囚人部隊」(同書288頁)であった。そんなことは、恥ずかしながら初耳である。ソ連が第2次世界大戦(彼らの言う、大祖国戦争)で囚人を対独戦線に送り込んだことを知ったのもつい先月のこと、竹原 潔の「抑留記」を読んだ時だったが、同じことが対満蒙(対日)戦線でも起きていたなんて。

今度のウクライナ戦争でも、ロシアが服役中の犯罪者の罪を許す代わり彼らを戦線へ動員しようとしていることを、ちらっとマスコミが触れていたように思う。この「シベリア強制労働収容所黙示録」によると、囚人を兵士として使うのは帝政ロシア時代までは無かったそうだから、このやり方は社会主義の下で生まれたが、ロシアは、資本主義に形を変えてもなお、この伝統を墨守していることになる。

いずれにしても罪人を兵士に仕立てるなんて奇抜な話しは、これまで僕が触れて来た読み物や映画等ではついぞ見たことも聞いたこともないが、それが単に自分自身の不勉強のせいならどんなによいだろう。人生のうち膨大な部分をソ連・ロシアとの係わりの中で生きて来ただけに・・・。

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20221216日)


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紅蓮の秋(名主の滝公園) [巷のいのち]

紅蓮の秋(名主の滝公園)

 

 名主の滝公園を訪れたのは師走も2週目が終わる頃、だからモミジの秋には遅れたと思った。そして門を潜って見渡すと、そこかしこ目に入るモミジ葉は案の定どどめ色に(くろ)ずんで、中には干からびて今にも落ちそうなものもある。小川沿いに歩を進めてモミジを通り越し、ふと振り返ったとき息を呑んだ。さっきの老いたモミジが陽を背負って紅に燃え盛り、萎びかけていた葉も青空に点々と咲いている。そのモミジはまた一木毎に姿も色も千差万別、四阿(あずまや)のそばでは、南天の実と赤を競い合っていた

 名主の滝公園の秋は今がきっと千秋楽。モミジや銀杏の千両役者が揃い踏み、ある者は大団円で見得を切り、ある者は断末魔の叫びをあげる。・・・たった一人の観客には勿体ないほどに贅沢な、晩秋の出し物だった。

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20221214日)


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