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茂吉の体臭(斎藤茂太) [読後感想文]

茂吉の体臭(斎藤茂太)

 

 面白いから読んでみろとて弟から送って来た『茂吉の体臭』と『回想の父茂吉 母輝子』(作者はいずれも歌人・斎藤茂吉の長男・茂太)のうち前者を読んだ。これより先、すでにこの場で紹介したように、同じく弟から勧められた『母の影』(茂吉の次男坊・北 杜夫作)を読んでいる。これら3冊はいずれも茂吉の二人の息子による茂吉と妻・輝子の回想記で、微に入り細にわたりこれでもかこれでもかと書き連ねている。どうやらこの兄弟にとっては親の個人情報など歯牙に掛ける価値もないようだ。それをまた、嬉々として読む我もまた妙である。威張るつもりは全くないが、茂吉の歌など一首も読んだ試しがない。本来なら先ず茂吉の歌から学び始めるべきところ、今更時間が勿体ないとか何とか理屈をつけて、回想記ばかりを読んでいる。

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 兄弟揃って親のあら探しをするように見えるのは、親が余りに偉大なせいだろう。「父は人一倍汗かきであった」—ウドンのような熱いのを食べると禿げ頭に忽ち汗をかき、その汗がひくのにまた人一倍の時間がかかった。「父の肌は一種のぬめりを帯びていた」―手足には絶えずあぶらがういていた。靴下や下着も汚染が早かった。「ノミや家ダニ等の虫類との親和性がずば抜けており」—同じ部屋にいて父だけが刺されることが多かった。

 「父は極めて小便が近かった」—このため茂吉は『極楽バケツ』と称する小便用バケツを自室に備え、旅行に行く時も常に携行、嬉々として愛用したという。

 「父の体臭はこれまた極めて特徴のあるものであった。父の死後かなり経ってからも、病室には、父の臭いがただよって、なかなか消えなかった。なつかしい臭いであった」。

 『茂吉の体臭』にも随所に母・輝子の思い出話が登場するが、その傑出した人物像は茂吉以上に強烈で面白い。一つだけ紹介すると、昭和205月の米軍による東京大空襲で斎藤一族が経営する『青山脳病院』が焼け落ちた—「三十年の余も勤めた老婦長が、焼跡を眺めて泣いた。『あんなにたくさんのお召物もみんな焼けてしまって』と鼻をつまらせた。ならんで立っていた母は『かえってさばさばしたわ』と一と言云っただけであった」。

 茂吉は、外面がいい反面、家の中では威張り腐って気難しいので、家族は常に気を遣ったそうだ。晩年はさすがにやや角が取れ、特に内孫(茂太の息子の茂一)ができると大喜び。ちょうどその頃チロという名の猫が家族の一員になると、茂吉は一に茂一を、二にチロを猫可愛がりしたらしい。

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 猫と言えば、先日の一人散歩で初めての道を選んだら、道端の草叢で猫が三匹寄り添って日向ぼっこしているのに出くわした。もし叶うなら、仲間入りしたいほど気持ちよさげな景色だった。

20221030日)


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旅の芸人 [巷のいのち]

旅の芸人

 

 今は亡きブラート・オクジャワ(19241997年)はロシアの吟遊詩人、今流のシンガーソングライターだった。自ら作詞・作曲した歌をギターを抱えて弾き語る。かって一時期ロシアに住み、長年にわたってロシアとの仕事に携わっていたにも拘らず、この人のことは何にも知らなんだ。誰かに勧められ、YouTubeを観たのは僅か2年ほど前。驚いた。こんなにも静かに切々と心に染み入る歌は聞いたことがなかった。

 オクジャワは、僕から見れば親の世代。第2次世界大戦の独ソ戦に出征し負傷、退役している。彼が話すロシア語ほど聞き取りやすいものはない。きっとそれは彼がロシア人ではなくて、ジョージア人の父とアルメニア人の母の間に生まれたせいだろう。YouTubeで彼が出演するのはいつも決まって小規模なステージ。おずおずと出て来た彼が聴衆に語り掛ける、「このホールは広くないので家庭的な雰囲気があります。願わくば、これがコンサートではなく、皆様との“出会い”でありますように」。

 オクジャワが生まれたのはソ連誕生の直後、子供の頃はスターリンによる大粛清が吹き荒れ、両親ともに逮捕され、強制収容所に送られた挙句、父親は銃殺刑に処せられている。彼の歌はいずれも哀調を帯びたものが多いが、静かな夜に焼酎の湯割りを舐め舐め聴く歌の一つに『旅の芸人』がある。

《朝まだき 旅の芸人がトランペットに口付け音色を測る どうもおかしい おい目を覚まして もっと身を寄せてくれないか ・・・・》

(208) Булат Окуджава - Заезжий Музыкант - YouTube

 

 いつもの通い慣れた散歩道、その墨田川畔の中ほどにベンチが四つ並んでいる。その一つにいつも座って、ペットボトルのお茶を啜り、川面を眺める。それが昼前頃の時間なら、男が一人ベンチに座ってトランペットを吹いている。それはこの2年半変わらぬ景色だが、時々は錯覚しそうになる、時と空間を超えて『旅の芸人』が現われたかと。

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20221015日)  


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回春(2022年初秋) [巷のいのち]

回春(2022年初秋)


 


 秋立つも今年は雨模様の日が多く、日課の散歩も滞りがちである。8月末に欧州に出掛けた老妻が旅先で右足を骨折、ために老々散歩も途絶えてはやふた月、たまの照る日は一人で近所をさまよい歩く。


 今年初めて金木犀の花を見たのは10月初旬だったが、それはアパートの9階の部屋に届いた花の香を女房に教えられた朝の、その午後の一人散歩のときだった。黄金色の花は、しかし日を追って萎んでは消えていった。それから10日も経った頃だった。道端に咲いた瑞々しい黄金色を見て、こいつえらい遅咲きだなあと、胡乱(うろん)な目付きながらも鼻を寄せ、染み来る匂いに我を忘れた。


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以下はその夕べ、年寄り3人のラインのやり取りである(彼らはその昔、とある商社に同期入社した仲間であった):


A君) 昨日NHKの朝のニュースで桜の狂い咲きを報じていた。同じ番組だったと思うが、金木犀の花は二度咲き、三度咲きがあるという。三度咲きもあると言うから、俺達古希過ぎた爺さんたちにも夢があるというもんだ!


(小生)それって狂い咲き?


(B君)Aさんよ。古希どころじゃないよー。喜寿過ぎだぜ!


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 時として年寄りのやり取りは面白い。僕自身、古希だか喜寿だかよく弁えないで生きてきた。金木犀が二度も三度も咲くことも、一年前の秋、実際に三度咲きに出くわして感動の挙句、そのことをわざわざ『回春』(20211026日)というタイトルでこの場で投稿していたにも拘らず、A君のコメントに出合うまで綺麗さっぱりと忘れていたのだ。


 しかしなあ、いま老いを嘆いてはバチが当たる。何といってもここまでは何とか無事に辿り着けたのだから。


20221022日)

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日中友好侵略史(門田隆将)) [読後感想文]

日中友好侵略史(門田隆将)

 

 昨年になり突然、故・安倍晋三が「台湾有事は日米有事」と言い出したから戸惑った。だって半世紀も前に国連も日米もともに台湾(中華民国)とは縁を切って、その代わりに中国(中華人民共和国)を国連安保理常任理事国に迎え、外交関係を結んでいる。今更なんでやねん、と思ったが、この本を読んでやっと腑に落ちた。

 実に40年の長きにわたり、中国(というか、正確には中国共産党政権)の巧妙な友好という名の戦略に世界は騙されていたらしい。同書は語る、日本作家協会や公明党への働き掛け、田中角栄訪中時の出来事から橋本龍太郎へのハニートラップまで。そしてついに2010年、中国がGDPで日本を抜き世界第2位になった頃、漸く牙を剥き吠え出したことを。

 一方の台湾(中華民国)もまた激動の半世紀を生きたようである。台湾は大戦後26年の長きにわたり国際連合の安保理事国を務めた。だが1971年、大陸中国の国連加盟が議決された瞬間に席を蹴って退席(さながら1933年の松岡外相の国際連合脱退時の如く)、脱会して今に至る。他国との外交関係も失うが、20113月日本が東日本大震災に見舞われた時はアメリカと並ぶ断トツの約30億円の義援金を寄せている。

 今回もまた、著者の門田隆将の真摯な文章がとてもいい。この人の姿にはYouTubeで時々お目にかかるが、朴訥な語り口が何とも言えない。一献傾けながらじかに聞けたらと思うけれど、それは夢のまた夢であろう。

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20221015日)


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母の影(その3) [読後感想文]

母の影(その3)

 

 北 杜夫(もりお)の描く母・輝子(てるこ)(夫は歌人の斎藤茂吉)は派手で、活発で、短気で・・・これを人は「猛女」と呼び、晩年になると近所では「痛快婆さま」と呼んだらしい。杜夫自身文中「父は悪妻を迎えた」とまで言っている。

 輝子の父・斎藤紀一は東京は青山にある脳病院の院長で帝国国会議員というから、輝子は上流社会で我儘一杯に育ったはずだが、意外とケチな面もあり、トイレットペーパーの代わりに和紙を揉んで代用、人にもそれを強いたという。

 杜夫がものごころ付いた頃、母はすでに家にはいなかった。父に勘当され、12年もの間戻らなかった。それはある事件のせいだった。昭和8年、新聞が「ダンスホール事件」を大々的に書き立てたが、それは警視庁が有名なダンスホールのハンサムなダンス教師(複数)を逮捕した事件で、罪名は上流階級の有閑マダムとの不倫、証人喚問された被害女性の名前が紙上に公表されると、そこに輝子の名前があった。

 英雄と猛女ではどうも肌合いが違ったようだ。それでも晩年の茂吉が病に倒れ、寝たきりになった時、輝子はまるで人が変わったように夫のそばを離れず、必死に介抱したそうだ。もしかすると、相手が元気なうちは敢えて干渉を控えていたのか。

 もともと旅行好きな輝子とて、茂吉と幽明境を異にした後は天衣無縫に旅を楽しみ、国内は300ヶ所以上を、海外は65歳からの20年間で108ヶ国を廻った(79歳で南極大陸に上陸、81歳ではヒマラヤ山麓を踏んでいる)。大分の湯布院温泉が最後の旅だった。その年に病を得て、半年後の1984年(昭和59年)89歳で幽界に旅立った。

 その7年後、北 杜夫は母の(つい)の宿(湯布院の玉の湯)に泊まる。そして『母の影』は、その夜彼が詠んだ次の歌で締め括られている。

さ庭べに かわづが鳴きて 亡き母の つひの宿りの 夜ぞ更けまさる。

20221011日)

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母の影(その2) [読後感想文]

母の影(その2

 

 「母の影(北 杜夫)」を読み進めるうち初めて知った、この血族がとんでもなく奇妙な一族であることを。父親の斎藤茂吉はアララギ派の有名な歌人、兄の茂太は随筆家で、当人は「どくとるマンボウ航海記」や「楡家の人々」で有名な小説家。なのにこの3人、揃いも揃って精神科医なのだ。

 杜夫(本名・斎藤宗吉)の少年時代の殆どは母が父から勘当されていたために、母を欠く生活だった。短気で怒りっぽい父は煙たい存在だったが、ある時父の短歌を盗み読んで感動を覚えると、それからも度々盗み読む癖が付き、父への尊敬の念が徐々に高まっていく。そして父・茂吉がついに帰らぬ人となった時の話しには驚かされた。火葬の後、父の生まれ故郷の親族が骨壺から骨の一部を盗み去り、結果、茂吉には墓が東京と山形に三つあると言う。のみか、杜夫本人が骨壺から骨を盗んで自分ちの仏壇に供えたと告白している。さて、この本の主題は母・輝子(てるこ)だが、これまた前代未聞の女傑だから、別途落ち着いて触れてみたいと思うので今はご容赦願いたい。

 

 閑話休題。2年以上続いた老々散歩がもう一カ月以上途絶えている。9月初めに老妻がアムステルダムで転倒し右足を骨折したためである。音楽の道を目指す孫娘と二人、ドイツとオランダに旅をした時の事故だった。そして9月下旬、アパートの9階の自宅で養生中の妻が「ああ、匂うわ」と言い出した。庭の金木犀(きんもくせい)の香りがここまで通って来たのだ。匂いは、しかし僕には届かない。そう言えば、去年も同じことがあった。金木犀は女房には判っても、僕には判らなんだ。嗅覚にはきっと個人差があるんだと思いながら、ふとネットで検索すると、女性の嗅覚は男性の1.5倍近くも鋭いと出た。その日いつもの散歩道を独り辿ると、そこここに黄金色の花が咲いていた。鈍い鼻でもずいと近寄れば、さすがに堪らない匂いが鼻腔に胸につんと来た。

(2022年10月10日)

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母の影(その1) [読後感想文]

母の影(その1)

 

 定職を離れてこの2年半、シルバー人材センターの斡旋で時々老人専用アルバイト稼業に手を染め、小学校の日曜祭日校庭解放の見張り役と、登校日の学童帰宅パトロールを請け負っている。但し前者は今年の格別な猛暑のため78月は中止となり、また後者は日の短い冬場に限った仕事のため、58月の4カ月は純粋な年金生活にいそしんだ。そして9月に入って校庭監視の仕事を再開し、10月はパトロール稼業も始まったところである。さて、現場の小学校の花壇にはこの季節やたら黄花コスモスが咲き乱れるが、その蜜を求めやって来る蝶々は大概が褄黒豹紋(つまぐろひょうもん)、写真のように監視役の視線などどこ吹く風と花から花へ狼藉の限りを尽くしている。

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 先日弟から斎藤茂太の本が二冊送られて来て、面白いから読めと言う。茂太の弟の北 杜夫の「母の影」も面白いから、興味あれば図書館で探すよう示唆された。僕らは男ばかりの5人兄弟だったが、今、娑婆と呼べそうな世間に棲むのは僅か二人となった。図書館の「母の影(北 杜夫)」がすぐ入手できたので、先ずはこれを読み始めた。

 純文学の私小説的エッセイなど久しく読んでいなかったが、なるほど面白い。実は、北 杜夫(次男)も斎藤茂太(長男)も、その父・斎藤茂吉についても名前だけ聞いた覚えがあるだけで、彼らが親子兄弟関係にあることを含め何にも知らなんだ。「母の影」は、杜夫の母親・輝子についての辛辣でありながら同時に愛おしむ追憶のエッセイである。読後の感想は別として、今回は途中「あっ」と思ったことがあったので紹介したい。

 それは即ち、昭和25年の米軍による東京大空襲により斎藤茂吉一家の病院兼家屋が焼失した時、焼跡に戻った杜夫がしたことは、「原形を留めたガレージの鉄の扉に焼木杭(やけぼっくい)で次のような文句を黒々と書きつけた: 『斎藤一家無事。これより青木方に転進す。』『転進』という言葉は、日本軍がガダルカナル島から撤退した際に、大本営発表で用いられた文句である」。

 いや、これを読みながら『転進』という言葉をつい最近聞いたような気がしてよく考えてみたら、それはプーチンの戦争の中だった。ウクライナがハルキュウ州イジュームを奪還した時、ロシア軍は「ドネツク地方へ転進する」と発表。ロシアはもしかしてガダルカナルの大本営発表を真似たのか?

2022109日)


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我と来て 遊べや・・・ [巷のいのち]

我と来て 遊べや・・・

 

 コロナのパンデミック到来と失業が重なって始めた近所の散歩も、いつの間にか2年半。少しでも人込みを避け、少しでも自然をと求めたら、来る日も来る日も同じ道をたどっていた。水分を摂るために途中で休むベンチさえ、馴染みになった。そこに静かに座っていると、雀が付近に舞い降りて餌を探すことがある。よちよちとホンの近くまで寄ることもあるが、捕らえるにはなお遠い微妙な距離を置いている。

 そんな雀に出遭うと、時々小林一茶の俳句を連想することがある。「我と来て 遊べや親の ない雀」。俳句も和歌も苦手で、特に今様のものは意味さえ掴めないものが多いが、(いにしえ)の俳句、特に一茶は、平易な語彙しか使わないのに情景がすぐ頭に浮かぶのは凄いなと思う。季語が勿体ぶらないのもいい。「親のない雀」は子供の雀、雀が産まれるのは春だから、季語は春なのだ。

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 雀を見ていて、ふと思い出した。知人に国立科学博物館のチケットを頂いたので、8月の茹だるような昼前、上野のお山に出掛けた。「化石ハンター展」という特別展で、ゴビ砂漠で発掘された恐竜と、ヒマラヤ・チベットで見付かった超大型獣の化石が展示されていた。あんな中央アジアの高原にもこんなどでかい奴らが跋扈していたんだ(!)。会場を廻りながらその頃の地球を想像しようとして、己の身の程知らずに気が付いた。もう直ぐ78歳を迎える脳味噌には、2億年もの時を遡るのはとても無理と諦めた。

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 恐竜の唯一の子孫は鳥だというが、いま散歩の道筋で出遭う雀は小さくて、人には付かず離れず、堪らないほど可愛く見える。これが恐竜の成れの果てだなんて、傘寿も間近い身にはとても信じ難いことだった。

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2022106日)


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