もう一人の隣人 [映画感想文]
もう一人の隣人
酒が入る夜は本はやめ、何か面白そうなのはないかとパソコンでYouTubeの番組を探す癖がついた。昨晩目に飛び込んで来たのはスヴェトラーナ・アレクシェービッチの名前。すっかり忘れていたが、2015年にノーベル文学賞をもらったベラルーシの女性ジャーナリストだ。翌年2016年に彼女の有名なルポルタージュ「チェルノブイリの祈り」(邦訳)が出たので読んだら、よほど感動をしたものか、電子書籍で原書「Чернобыльская Молитва」に挑戦、読み終えたのは2018年1月だった。随分時間がかかったけれど、ロシア語の本を読み切ったのはそれまでの73年の人生で初めてのことだった。遥かな昔、大学でロシア語を学んだ時、トルストイの「復活」を読もうと高い志を抱いたこともあったが、最初の数頁で挫折、以来ひたすら謙虚に生きて来た。
YouTubeは2月25日に放映されたTBS報道特集DIGで、「ロシアはなぜ“戦争”をするのか」というタイトルで金平茂紀キャスターの質問にアレクシェービッチが答えるものだった。
https://www.youtube.com/watch?v=UwMIhmSHVbo
固唾を呑んで観入った。というのも、一年を超えて続くウクライナでの攻防戦につきこれまでに見聞きして来たのは、多くが西側メディアからの映像、或いはウクライナ側からの発言であり、時々はプーチンやラブロフ外相の声明であっても、両国と境を接する、双方にとっの隣国ベラルーシの人々が一体事態をどう受け止めているのか、さっぱり分からなかったためである。1100年以上前にスラブ系国家キエフ大公国が歴史に現れた時、ロシア、ウクライナ、ベラルーシは一つの国で、その治世は350年以上も続いた。そのうちの2国が血みどろの死闘を繰り広げている今、もう一つの隣国が一体どんな気持ちでそれを見ているのか、どこか気に懸かっていたからだった。
しかし、二人のやり取りを観て何にも知らぬ自分に気が付いた。アレクシェービッチはベラルーシ人ではなかった。父はベラルーシ人でも、母はウクライナ人だった。また、彼女は反体制派と見られているようで、「チェルノブイリの祈り」は自国では出版されておらず、自身は2年半前からベルリンに滞在、どうやら亡命生活を余儀なくされているようだ。だから彼女の見解が、そのまま一般的なベラルーシ人の見方と言えるかどうかはともかく、次のような言葉が心に響いた:
① ベラルーシは戦争の当事者である。何故ならウクライナに侵攻するロシア兵、戦闘機、戦車はベラルーシにも駐留、駐機するし、傷病兵はベラルーシの医療施設でも治療される。
② ベラルーシは占領されている(ロシアに、とは敢えて明言せず)。
③ ベラルーシ人はこの戦争に反対である。兄弟国のウクライナと戦うわけにはいかない。しかし、それを広言することはできない。すれば、10年以上牢獄に入れられるから。
最近とみに物忘れが激しくなった。2018年1月に「チェルノブイリの祈り」の原書を読破した後、味をしめた我れ、もう一つの代表的なルポ「戦争は女の顔をしていない」の原書に挑戦、感動しつつ読み進めた微かな記憶はあるものの、読み切ったか否かの覚えが欠落している。けど再挑戦は、時間的に無理がありそうだなあ。
今日、巷を散歩の途中、道端の茶色っぽい樹の幹に黄色い花が萌え出していた。アパートかマンションの狭い庭だった。スマホに収め検索すると、檀香梅と言ったり、山茱萸ときたり、蝋梅だったりと、グーグルも迷っている。はてな、と思案していると、「何かお探しですか?」と言われ、顔上げたらマスク姿のおばさんが僕を凝視している。つい「この花の名前が何かと思いまして」と答えたら、「山茱萸です」。入口に向かう背に向かい、思わず「有難う御座います」とか何とか言ったはずだが、それさえ今じゃ朧なのだった。
(2023年3月5日)
同床異夢(ラーゲリより愛を込めて) [映画感想文]
同床異夢(ラーゲリより愛を込めて)
「ラーゲリより愛を込めて」なる映画が封切り上映中と、奇しくも大学同期のA君と、最後の職場の同僚B君からの、それぞれの便りに触れてあった。調べると主人公が山本幡男というので、思い出した。5年前の10月、ノンフィクション「収容所から来た遺書(辺見じゅん)」を読んで、いたく感動したが、それが今頃映画化されたのだ。
年が明け、ひとり電車に乗って浦和へ行き、映画館の最後列に座って驚いた。今日は正月2日、映画の舞台は70年も昔のシベリアのラーゲリ(強制労働収容所)、なのに観客席は満杯で、70歳以上の老人はどうやら我一人、あとは殆どが若者だった。
映画が始まった。主人公を演じる俳優は見知らぬ人、脇役の中にテレビで見たよな顔もいるが、誰だかは見当もつかない。しかし今スクリーンで展開する出来事が僕の幼少時、シベリアと日本で実際にあったことだと思う途端、涙が溢れて仕方ない。山本幡男が病に倒れ、死の床で書いた家族への遺書を、戦友6人が分担して記憶し合い、3年後(終戦11年目)の最後の引き揚げ船「興安丸」に乗って帰国後、それぞれがそれぞれに記憶した遺書の部分を、妻の山本モジミに伝えるシーンに来ると、静まり返った客席で思わず嗚咽が込み上げて来たのを必死に抑えた。
家に帰る帰途、考えた。何故あの映画が、この今に生きる若者に人気が出たのだろう?そして思った、もしかして、現在進行中のロシアによるウクライナへの侵攻を目の当たりにした彼らは、かって日本人が蒙った悲劇を見詰め直そうとしているのではないだろうか?
その日の夕食のとき、おもむろに、「いやあ驚いたよ、あんな昔のシベリア抑留の映画なのに、客席は満席、それも殆どが若者なんだ・・・」と言い掛けたら、女房殿、「ああ、あの映画ね、ジャニーズの二宮和成が出てるからじゃない」と、にべもない。その夜、映画を紹介してくれたA君、B君それぞれに感想のメッセージを送った。すると返って来たコメントは、何と女房のそれと大同小異。
情報音痴とは、僕のことだった。
(2023年1月3日)