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ダモイ遥かに(その2) [読後感想文]

ダモイ遥かに(その2)


 


過日ある友と、『ラーゲリから愛を込めて』についてラインでやり取りした際、「(貴コメントにある)辺見マリは辺見じゅんの姉妹でしょうか?」と訊かれたので泡を食った。僕の脳味噌は、歌手の辺見マリの方に馴染みがあったらしく、「じゅん」とすべきところを無意識のうちに「マリ」に変換していたようだ。


ことほど左様に、5年前『収容所から来た遺書』を読み、今度また『ダモイ遥かに』を読んで感動したにも拘らず、著者の辺見じゅんについては、その生死も含め何一つ知らぬ僕だった。ウイキペディアを覗いて知る、彼女が11年前に72歳で亡くなっていることを。そして本名を角川眞弓と言い、あの角川書店を創った角川源義(げんよし)の長女ということは書店2代目の春樹及び3代目・歴彦(つぐひこの姉角川歴彦名前最近確か新聞で見たと思ったら、東京オリンピック・パラリンピック汚職疑惑で逮捕された1人だった。


 それはともかく、『ダモイ遥かに』の主人公が、家族への長文の遺書を残して病死する山本幡男(はたお)であることには違いないが、物語の随所に現れる雌の子犬クロは、まるでヒロインのようであ小説冒頭の舞台は、氷に閉ざされたナホトカの港。最後の抑留者1025人を乗せた興安丸が砕氷船に導かれ岸壁を離れた直後、クロが氷の上を駆けて海に跳び込む。それを見た甲板の抑留者が一斉に叫び出すと、船長の玉有勇(たまありいさむ)が停船命令を発し、船員に子犬の救助を命じる。かくして抑留者海を渡ったクロは、その後舞鶴の長木・市議会議員に引き取られ、日本の犬になった


 過ぐるシベリアでの抑留時代、山本幡男がそうであったように、クロもまた日本人抑留者たちの人気者だった。彼らがたまの休日に楽しむ草野球は、「クロ野球」と言われた。高く上がった打球が立入り禁止区域に飛び込むと、クロが鉄条網を潜って球を咥えて戻って来るからである。古くなった外套の綿を固く丸め、糸を幾重にも巻いたものを芯にして作る球は非常な貴重品だった。


 さて、日本の犬になったクロのその後について『ダモイ遥かに』の結びは語る、「それから5年後、クロは一匹の子犬を産んだあと、病気を患って死んだ。クロが産んだのは、雌の犬だった。あるとき、興安丸の船長だった玉有勇は、その話を伝え聞くと、クロの子を引き取った。玉有船長も氷海を泳いで日本人を追いかけてきたクロのことは忘れることができなかったのであった」。


 そう言えば、前稿で記したように、舞鶴到着の翌年の1957年(昭和32年)、大宮に住む山本幡男の留守宅に最初の遺書をもたらしたのは森本研一だったが、彼のそばには黒い犬が侍っていたと著者は書く。クロである。この点ばかりは、しかし、辺見じゅんの筆が滑ったのか、それとも読者に向けたサービスであったと思われる。


 


 このところ東京も凍れる日が続いている。日曜祭日の校庭解放指導員も、平日の学童パトロールも、いずれも戸外限定の稼業なので、老骨にはちときつい。と言っても、贅沢は言えない身、薄いの厚いの6枚ばかりを重ね着て何とか凌ぐ日々。仕事を終え、とわの棲み家のアパートに着き9階の廊下をたどる頃は、ちょうど陽がビルの谷間に沈んだ直後。下の写真の中の二つの高層ビルの間に垣間見えるのは、実は日の本一のフジヤマの欠片。ここへ越して来た半世紀前にはその全身が見えたものを、その頃は連日の深夜帰りで、景色などは視野に入るべくも無かったが・・・・。


2023131日)


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2023131日)


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哲夫

先日、妻と見てきました。  
皆すごく苦労されたんですね! 
親父達と重なり、もう泣けて泣けて
by 哲夫 (2023-02-04 18:30) 

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