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つわものどもが夢の宴 [忘れ得ぬ人々]

つわものどもが夢の宴

 長年禄を食んだ商社に商泉会なる、退職者より成る親睦の会あり、年に一度数百名が集まって親睦を図るのが恒例になっていたが、コロナのため2019年を最後に打ち止めとなっていた。以来3年半、さすがのコロナもばて気味の折柄、久し振りに懇親会を開くとの知らせが舞い込んだ。時は710日の夕まぐれ、所は都心ド真ん中の日本橋。すると懇親会の数日前に同期入社の一人から突然メールが到来。折角だから同期同士少し早く集まって宴までの時間に牌を自模(つも)ろうとの誘い。合意成立は、あっという間のことだった。

 当日、日本橋高島屋そばの雀荘ドウジャンで雀卓を囲んだのは、3月に闘ったのと同じメンバー(38日付投稿「決斗高田馬場」)。いずれも現役時代は海外に雄飛。一人はバンコク、台北、ロサンジェルスに、或る者はトルコ、パキスタン、一人は北京、南京、香港に、そして我はモスクワとアゼルバイジャンのバクーに・・・・。中空に日がまだ高い頃から始めたこの遊びは、しかし30年以上も牌に無沙汰していた僕には難題至極、前回の3月同様、敵方3人に都度教えを乞いながら、漸くにしてゲームを乗り切る始末。

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 さて、戦いすんで日が暮れて・・・4人はヴェルサール東京日本橋の懇親会場に設けられた立食の宴へ。そして、改めて互いの無事を祝しグラスを合わせた。久し振りの懇親会は盛況で、見知った人に近付くのさえ容易ならぬ。群れを縫い、ふと顔を挙げれば白髪豊かな知人が目の前に立っていた。七つほども年上の大先輩で、エピソードにこと欠かなかった人である。半世紀も前に聞いた話しだが、モスクワ出張時の夕べ、ボリショイ劇場にオペラのトラビアータ(椿姫)を観に行った時のこと。一幕が済んだ幕間に一行が寛ぐ中、件の大先輩が首を傾げる、「白鳥がなかなか出て来ないなあ!」 — 上演中の出し物がバレーの「白鳥の湖」だとばかり思っていたらしい。・・・・大先輩の突然の出現に驚いたのか、いきなりこのエピソードの真偽を確かめたところ、「そんなこともあったなあ」と怯まぬ先輩、いやあ、あの時はかくかくしかじかと、まことしやかな説明に煙に巻かれる僕だった。

 この日雀卓を囲んだ仲間の一人がついぼやいた、「俺が駐在したのは北京、南京、香港と、今は習近平が牛耳る中国ばかりだった。南京に至っては、あの大虐殺の南京だ。俺の人生はいったい何だったのか?」。そこで僕もついポロリ、「俺だって、モスクワとバクー。両方とも旧ソ連ばかりだった。もう1年以上テレビで残虐な戦争シーンを見せつけられて・・・」。すると、なんだか急に友の顔が和らいで、「そうか、おまえも大変だなあ、頑張れよ」— 逆に慰められた。

 今あらためて思うのは、友よ、戦時下のウクライナに生まれる命もあれば、土中を這うミミズもまた命。命、今ある限り、ここを先途と足掻くしかないと思うのだが・・・。

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2023712日)


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ブルマン

写真ですが何時も一番右側の人が欠けてますよ!
by ブルマン (2023-07-16 11:26) 

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