SSブログ

 プーチンの破滅戦争(真野森作) [読後感想文]

 プーチンの破滅戦争(真野森作)

  この本(ルポルタージュ)は、先の投稿で取り上げた「プーチンの戦争(真野森作)」の謂わば続編である。前作のルポは、当時モスクワ特派員であった著者が20142017年春にかけてウクライナのドンバス(ドネツ盆地)地方等の現場を経巡り、進行中の宣戦布告なきプーチンのハイブリッド戦争(親露派武装勢力による代理戦争)についてレポートしたものであった。著者はその後、内地勤務を経てエジプトのカイロ特派員に転出していたが、ウクライナ国境付近にロシア兵が集結、いよいよきな臭くなったので、状況調査のためカイロからウクライナに応援出張中の2022224日、ついにロシアの侵攻が始まる。この時は急遽ポーランドに脱出したが、その2か月後、再びウクライナ入りし取材活動に当たった。今度のルポは、このロシア侵攻直前直後2回にわたる取材レポートである。

 真野記者も流石に今回はドネツク、マリウポリ等のドニプロ川東岸地域には近付けず、西岸のザポリージャまでは訪れたものの、専らリビウ(リボフ)、キーウ(キエフ)中心の取材であった。記者が最も衝撃を受けたのは、キーウ郊外の町ブチャにおけるロシア兵による住民多数の虐殺現場であり、またドンバス地方で多発した同種事件の情報であった。我れそれらを読みながら思わず、またいとこが終戦後満州の開拓団から逃げ帰った彼の叔父から昨年11月に聞いた話しを思い出していた、「哲夫よ、戦争は悲惨や。ソ連軍なんてほんとにひどいもんやった。今のウクライナとの戦争にそっくりや。まだウクライナの方が、食う物、眠る家や車もあるだけ、あの頃のわしらよりましかもしれん。ロシアの兵隊は囚人やら食うに困った連中やというが、昔もおんなじやった。本当に滅茶苦茶むごかった。悪魔以下やった」(1月22日付投稿「大叔父一家の満洲譚(その7)から引用)

 ブチャの外科医クレスチャノフの証言、「一般市民、女性や子供、高齢者を攻撃するロシア軍は、ならず者や略奪者の集団だと思います。普通の軍なら将校が掠奪や強盗を許可しません。彼らにとって悪事は当たり前。酒浸り、虐待、暴行、強姦はロシア社会の規範であり、断面図です。ブチャは全世界がそれを目の当たりにした初めての土地なのです」

 レポの終わりの方で、著者はウクライナの二人の識者へのオンライン取材内容を紹介している。いずれも興味深いが、プーチンが今回のウクライナ侵攻の理由の一つとする「ウクライナのネオナチからの解放」に対するジャーナリストのセルゲイ・ガルマシュのコメントもその一つ、「私の理解では、ナチズムとは一つの民族が他のすべての民族よりも自分たちを上と位置づけ、下位とみなした民族を殺すことだ。ナチズムはマークやシンボルではなく行動によって定義される。プーチンとロシア軍人こそナチ主義者ではないか。ウクライナ人がロシアの望むような生き方を選ばず、むしろロシアと離れて暮らしたがっている。そんな理由だけで、彼らは人々を殺しにやって来た」

IMG20230422104038.jpg

2023424日)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

プーチンの戦争(真野森作・著) [読後感想文]

プーチンの戦争(真野森作・著)

 タイトルが意味するのは、まさにプーチンのロシアによる対ウクライナ戦争のこと、但しそれは昨年2月以来進行中のこの戦争ではなくて、その8年前の2014年にクリミヤ半島とウクライナ南東部で既に始まっていた政権側と(ロシアを後ろ盾とする)武装勢力との(表面上は)内戦のことである。この本が上梓されたのは、現下の戦争が始まる3年以上も前の201811月。当時毎日新聞モスクワ特派員であった著者が、20142017年にかけて何度もウクライナの紛争地に飛び込み取材を重ねた結果が、このルポルタージュに凝縮されているようだ。

 昨年2月のウクライナ侵攻は、僕にとっては晴天の霹靂だった。その後何冊か読んだ本のお蔭で、両国間には長年燻り続けていた火種(ウクライナのEUNATOへの加盟問題)があって、2014年に入って以来、様々な事件が立て続けに起こったことを知った。即ち、キーウに於けるユーロ・マイダン革命とヤヌコーヴィッチ大統領のロシアへの亡命に始まり、プーチンによるクリミア半島の併合に続いて起こったドネツク等南東部に於ける(ロシアが支援する)武装勢力との内戦・・・・。それらを僕は、しかし単なる知識(歴史的事件)として受け止めることはできても、実際にはどんな状況だったかを想像することすらできなかった。

 しかし記者によるルポルタージュは、一般的な読み物とは画然と異なることに気付かされた。この本は、1カ月前に読んだ「ウクライナ侵攻までの3000日(大前 仁・著)」同様、その時々のリアルタイムに、現場に限りなく近付いた記者が、事件の真相に迫るべく藻掻く様子が読み手に伝わって来るのだ。読み手はだから、いつの間にか記者に付いてモスクワからキーウに飛び、クリミア半島に移動したり、モスクワから南ロシアのロストフナドヌーを経て国境を越え東部のドネツク市に旅する。そして紛争地に限りなく近付いた所で、互いに対峙し合う軍人・政治家の双方にインタビューを重ね、同時に一般住民の、子どもを含む老若男女の声を求めて駆け廻る。

 著者は読み手の君や僕を、20147月にウクライナ東部のドネツク州で起きたマレーシア航空機事故(子供80人を含む298人全員死亡)の悲惨な現場に案内する。反政府武装部隊にロシアが供与したミサイルによる撃墜と噂される事件である。このルポを著者は次のように締め括る、「記者団の中でしゃがんでメモを取る私の近くに、ひらりひらりとどこからか、小さなシジミチョウがやって来た。顔の前を飛んで、私が握るペンにとまって羽を休める。またひらりと舞い上がって、どこかへ飛んでいった。式典後、空港のロビーで原稿を書きながらそのことを思い出し、急にかなしみに襲われた。あのシジミチョウはどこから来て、どこへ行ったのだろう。墜落現場の強烈な光景が夢に現れ、明け方に目を覚ます日々がしばらく続いた。」

 20172月に著者がキーウで行ったクラフチュク初代ウクライナ大統領(当時83歳)へのインタビューの内容も面白いが、同日会見したウクライナ国立戦略調査研究所コンスタンチン・コノネンコ副所長の発言が強く心に響いた、「本質において、ロシアは我々に対して宣戦布告なき戦争を続けている。」———それは、プーチンがついに宣戦布告を発し、ロシアが国境を越えて雪崩れ込む5年前のことだった。

IMG20230419135803.jpg

2023420日)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

同期の宴 [忘れ得ぬ人々]

同期の宴

 昨日は、真っ昼間の酒宴になった。半世紀以上前一つ商社に入社した同期の桜、うち5人が最近ラインでつるみ始めたところ、たまにやライン抜きでやろうとなった。で、集まった場所が何と、高田馬場の『へぎそば昆』。偶然の一致にもそこは、先月3日、同じ同期の桜でもまったく別の連中と麻雀を打った後に酒を呑んだ店だった。

 百人は優に超えていた同期の桜、しかし商社を離れて二十余年、今に縁が続く桜は変わり者が多い。退職後ある者は日本語の教師の資格を取って、中国の大連とベトナムのダナンで長年教鞭を執り、帰国後は来日留学生に日本語を教えていた。また、ある者は、資格を得て植木屋に変身したかと思えば、その後樹木医として公園や高尾山等グリーンの世界で活躍、今に至る。

 今日の5人、僕を除いては南半球の駐在経験者が多い。フィリピン、豪州、パプアニューギニア、ニュージーランド、ブラジル・・・。酒を得た舌は、次から次へ思い出話を紡ぎ出す。北半球、しかも寒いロシアしか知らぬ僕には、想像もできないほど明るく自由な世界のようだ。日がまだ中天に高いと言うのに、銚子が次々と空になる。とっくに皆んな喜寿を超えているはずが、己が歳をしばし忘れたか?話しがあちらへ飛び、こちらに飛び、ついにはプーチンに話が及ぶと、「日本はNATOに加盟したらどないやねん」なんちゅう意見までが飛び出す始末。

IMG20230413131614.jpg

 昼下がりの老人飲み会は、回りも早いが、効きめもあらたか。勘定終えて散会。一歩外へ踏み出し、つんのめりそうになるのを堪え、さりげなく抜き足差し足、駅に向かう。その後A君と二人、評判の根津神社のツツジ苑に立ち寄った。ツツジはまさに花盛り。時々よろけそうになりながら、ひとわたり美の競演を見終える頃には、足元がようやく定まって来たようだった。

IMG20230413160215.jpg

2023414日)


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

古代への旅 [巷のいのち]

古代への旅

 快晴の今日の火曜日、また上野の国立科学博物館を訪れ、今度は特別展「恐竜博2023」の会場に入った。去る42日付投稿「再会」で触れた、あの再会の人から頂いた無料観覧券を携えて(常設の博物館は65歳上は無料)。そこは人類誕生の遥か前の、古代の世界。その頃地球を闊歩していた世界各地の大小様々な恐竜の化石がここに集められ、復元像とともに待っていた。親子の見物客が多いが、平日のため子供はすべて就学前の幼児。なのに、爛々と輝く瞳で化石や復元像を見詰め、質問で親を苛めている(ように見える)。末が楽しいのか、恐ろしいのか、親の顔はただ茫洋。

 身体を大きなトゲで覆う大きな鎧竜も怖いが、全長35メートルもある、部屋を丸ごと占有するようなどでかい奴にも魂消た。そして、観覧ルートの終わり近くで、壁一面が大画面のアニメが眼に飛び込む。恐竜同士、食うか食われるかの熾烈な闘い、そこへ迫り来る巨大隕石!・・・・

 太古を出て地上に出ると、そこは春も盛りの上野のお山。うららかな空のもと、道行く人は皆、古代は無論、ウクライナも知らぬげに、ゆるゆる歩を運んでいる。お山の、駅に向かう道筋で青空に向かいそそり立つ高い樹は、暮れには黄色いカードを撒き散らし素っ裸になった銀杏なのか。銀杏なら、2億年前からこの世に生えた最古の植物だから、先祖はあの恐竜たちと同世代になる。しかし、枝先に湧き出した緑は、余りにも初々しいのだった。(2023411日)

IMG20230411155542.jpgIMG20230411135807.jpgIMG20230411135739.jpgIMG20230411134020.jpgIMG20230411145601.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

78歳の手習い [読後感想文]

78歳の手習い

 今度読んだ『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(鶴岡路人・著)は、生まれて初めて読んだ安全保障の本だった、すると、集団安全保障とか集団的自衛権或いはNATOとかいう言葉は、今度のウクライナの戦争でなくても、しょっちゅう見聞きしていたので何となく分かっているつもりだっのに、実はな~んも分かっていなかったことに気付かされた。

 人生これまで、ずっとノンポリをやって来た。一度だけデモに参加したことは、ある。上京して学生になって間もない時だから頃はまだ未成年、誰かに誘われ、国会前を練り歩いて「ベトナム反対!」を叫ぶ群れの中に居た、何が何だか、さっぱり分からぬままに。以来政治らしきものに係ったことも無い。

 今度のウクライナでは、ロシアの侵攻直後先ず目にしたのは、宣戦布告さながらのプーチンの演説だった。そこには、ソ連崩壊後NATOが東に向かって加盟国を次々に増やし、ついにはウクライナまで取り込もうとしていると、NATOに対する恨み節に満ちていた。それを読んだ時、NATOももう少しロシアのことを慮っていたなら、こんなことにはならなかったのではないか、と思ったものだ。その後、しかしロシアの非情な行動を見聞きするにつれ、プーチンの恨み節に対する疑念が徐々に湧いて来た、・・・・そんな時に出遭ったのがこの本である。

 著者は語る、NATOが旧東欧、旧ソ連内共和国からの加入申請を受けた時、何よりもロシアの反応が心配されたので、都度ロシアと協議の上、「手打ち」がなされたと。先ず1999年のチェコ、ポーランド、ハンガリーの加盟に際しては、事前の協議に基づき1997年、NATO・ロシア基本議定書が合意された(ロシアはエリツイン大統領の時代)。次いで2004年、バルト三国、ブルガリア、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニアの加盟も、2002年ローマにおける両者の合意に基づいて実施された(プーチン大統領の時代)。かかる経緯を踏まえれば、プーチンの恨み節は根拠を欠く非論理的なものに思えてくる。

 本書の中で最も印象的だったのは、上記のNATO拡大問題に関するプーチンの恨み節であったが(それが自身の心の片隅に燻っていただけに)、他にも心に残る箇所がいくつもあった。うち二つを紹介したい:

(1)13頁:結果として、多くのウクライナ人を反ロシア的にした。(中略)プーチンは、自ら作り出した敵と戦っている。ロシアによる一連の言動が、ウクライナ人のアイデンティティを高め、ウクライナ国家を欧州寄りにさせてしまったのは、今回の戦争の最大の皮肉である。

(2)133頁(ストルテンベルグNATO事務総長発言):(ロシアの侵略を止めなければ)我々はみな、より危険になる。(中略)我々はコストを負担し、EUとしてNATOとしてコストは金額であらわされ、お金の問題だが、ウクライナ人にとってのコストは、日々、人命で支払われていることを忘れてはならない。

 ウクライナ侵攻の直後、それまでEU加盟国ではありながら軍事的には中立を国是としていたフインランドとスウェーデンがNATO加盟を申請、このうち先ずはフインランドが一昨日の44日、正式に31番目の加盟国として承認された。恥ずかしながら我れ、EU27ヶ国とNATO31か国の内訳を知らず、ために今日、78歳にして初めてそれぞれの国名を手帳に書き留め、両グループ共に加盟している国には〇を付した。

 IMG20230401112243.jpg

202346日)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

 2023年春爛漫(胴吹き桜) [巷のいのち]

 2023年春爛漫(胴吹き桜)

  あの日(322日)、石神井川に沿う百万石の桜みちを歩いていて、頭上に乱れ咲く花よりも、太く黒ずむ幹からじかに芽吹く僅か数輪の花の方になぜか目を奪われていた。気になって調べてみると、どうも老い桜がなけなしのエネルギーでもって光合成を急いだもののようで、この手の桜花は『胴吹き桜』と呼ばれるらしい。奇妙なのはこれが目に付くようになったのは、つい昨年あたりからのこと。日本は今頃になると、老若様々な桜木が覇を競う。胴吹き桜とて昔も今も変わらぬはずが、なぜ今になり我が目を奪うのか、そこを不思議に思う。深まりゆく我が齢と、まさか関係はあるまいに。

IMG20230322141202.jpgIMG20230322133221.jpgIMG20230322141049.jpgIMG20230322140036.jpgIMG20230322152148.jpgIMG20230322145018.jpgIMG20230322135933.jpg

202344日)


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

再会 [忘れ得ぬ人々]

再会

 知人に、もう10年以上も上野の国立科学博物館でボランティアのガイドをしている(ひと)る。同館案内よう有難指定日時319日)に上野のお山に赴くと、桜ははや七分咲き、久し振りの花見解禁の日曜とあって、樹よりも多い人民の数。彼と会うのは実質2回目、それも久し振りのことだから、互いに顔が判別できるかときょときょとしてたら、彼の方で僕を見つけてくれた。

IMG20230319094419.jpg

 今から2年半前、同じ東京に住み何度も酒を酌み交わしていた中学時代の同級生(中島兼三)が異界に旅立った。学芸会で全校生を前に「ちいさい秋みつけた」を独唱した兼三は、互いに古希を過ぎた頃、僕がフェイスブックに投稿したハゼノキの紅葉の写真を指して、これが「ちいさい秋みつけた」で歌われた秋なんだと、書き込んでくれた。その彼が逝って、築地本願寺の合同墓に入る日、納骨式に臨むと、20人ほどの参列者の中に顔見知りはいなかった。式のあと(とき)に移りてい席同士名乗りった相方上野待ち合った

 あの斎の席で隣人がおもむろに、存じ上げていますと言い出したから驚いた。中学3年の僕が生徒会長だった時(そのこと自体を僕自身は忘れていた)、2年の彼は生徒会の会計係りだったこと、また、運動会の開会式で僕が述べた言葉の中に「健全なる精神は健全なる身体に宿る」があったことも覚えている、と言う(穴があったら入りたかった。)いや、驚きは果てしない。僕の大学時代に彼も東京に下宿していた時期があって、東上線は成増の僕の下宿まで訪ねたことがあり、その時読まされたというのだ、同人雑誌に投稿した僕の短編『ダスビダーニャ』を(そういえば学生時代、瞬間的に文学にかぶれた時期があったことを思い出した。)他界した兼三は血の繋がるまたいとこで、互いの家は村道を挟んで隣同士だったそうだ。

 さて、その彼に導かれ国立科学博物館をぐるっと廻り、予想を超えて多岐にわたる分野とバライアティーに富む展示品の数々に舌を巻いたが、個人的に特に感動を覚えたのは、渋谷駅前の忠犬ハチ公の本物の剥製と、そのすぐ右後ろに第1次南極探検隊の樺太犬ジローの、これまた実物の剥製を見た時だった。それともう一つは、見学者の中に目を輝かせ、食い入るように展示品と説明のパネルに見入る子供がいること。彼によれば、どう見ても幼稚園児のような見学者の中には、時として彼のような案内役が敵わぬほどの知識を備えた子供がいると言う。言われてよく見れば、小さな子供が何か専門用語のようなのを口走っていた。きっとこんな所には、テレビでしか見ない『博士ちゃん』がうようよいるんだろう。

IMG20230319095905.jpg

 博物館を出て昼下がりの、花見客で賑わう上野のお山を下りて、不忍池の近くの中華料理店に腰を下ろした。シュウマイ、餃子など摘まみながらビールで乾杯。この二人、歳の差こそ僅かでも、天は記憶力に甚大な格差を与えたもうた。ために時として意図せぬ失礼をしているが、赦せ、友よ。・・・・古友と飲む人生二度目の麦酒は五臓六腑に染みわたる。大瓶が幾本も空いたのは、束の間のことだった。

IMG20230319143048.jpg

 そして42日の今日フェイスブックからメッセージが届いた、「今日はKanezo Nakajimaさんの誕生日です。お祝いのメッセージを送ろう!」有難う。ただ、霊界通信のアドレスが僕には分からないのだ。

202342日)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

2023年春爛漫(百万石の桜みち) [巷のいのち]

2023年春爛漫(百万石の桜みち)

 

 折角の花見の季節が雨に祟られ家に籠る中、僅かな晴れ間の322日、石神井川の下流沿いを流れに沿って王子の飛鳥山の麓まで歩いた。石神井川は小平市の花小金井の湧水に源を発し、様々な湧水を集めながら東へ流れ、王子を過ぎて墨田川に流れ入る。二年前の今頃も同じ道をたどり、「百万石の桜みち」というタイトルで紹介させて頂いた。今年も歩き始めたのは板橋区は東端の、石神井川がちょうど中仙道の仲宿を潜るあたり、そこから両岸にずっと桜並木が続く道である。その辺は以前紹介したように、江戸時代、加賀百万石の広大な下屋敷(21万坪)があったところ。加賀一丁目と二丁目のそこは、至るところ加賀を冠する施設が多い(加賀橋、加賀公園、加賀学園、加賀小学校、加賀中学、加賀〇〇マンション・・・。)

 思えば加賀(石川県)は我がふる里の飛騨(岐阜県)からは隣の県だ。確かあれは中学の頃だから今からは65年ほども昔のこと、山仕事の合い間に弁当を食いながら、あれが加賀の白山やと、指差し教えてくれたのは祖父の準一だったか、大叔父の貞夫さんだったか、それがしかし僕にとっては今もなお、石川県をこの目で見た唯一の瞬間となっている。

 IMG20230322132209.jpgIMG20230322132104.jpgIMG20230322132742.jpgIMG20230322132258.jpgIMG20230322132047.jpgIMG20230322132530.jpg

202341日)


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感