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僕の内なる太平洋戦争 [読後感想文]

僕の内なる太平洋戦争

  80年近い年月をのんべんだらりと生きて来たが、それでも意識のどこかには自分だけの近現代史のようなものがあって、ああ俺はこういう時代を生きているんだと、自らに言い聞かせて来たような気がする。その近現代史が、しかしここへ来て激しくぐらつき始めたので、なんとも心細い。きっかけは、恐らくウクライナ戦争だろう。そして、それに触発され、読み始めた国際政治史関係書籍の中で、所謂「陰謀論」(馬渕睦夫)や「歴史修正主義」(渡辺惣樹)と出遭ったせいかと思われる。今回読んだ『日米戦争を策謀したのは誰だ!』の著者の歴史学者・(はやし) 千勝(ちかつ)もまた巷では歴史修正主義者と呼ばれているらしい。本書は大東亜戦争(日本本来の名称、一方連合国側GHQ推奨の呼称は「太平洋戦争」)の実態に迫ろうとする野心作、そのせいか僕の内なる近現代史とは乖離だらけ、中でも特に驚いた点を抽出すると:

【日米政権内で暗躍した共産主義者】

・戦前戦中のルーズベルト大統領政権には膨大な数のソ連工作員が潜入していたため、情報はソ連に筒抜けだった。ル大統領(終戦直前に病死)自身も容共的だったが、死ぬ3カ月前に病を冒して行ったヤルタ会談時、傍でサポートしていた国務省のアルジャー・ヒスはソ連のスパイだった。

・ルーズベルトは国際金融資本家ロックフェラー(当時は容共的)の影響下にあった。そもそも第2次世界大戦は、国際金融資本家とソ連が裏で仕組んだ戦争との説もある。

・日本側の戦前戦中内閣(近衛文麿、東条英機)の政権中枢にもまた少なからぬ共産主義者(西園寺公一、風見 章、白洲次郎、尾崎秀美、牛場友彦、他)が潜入していた。

【米国の世論は第2次大戦への参戦には大反対だった】

・米国本土には関係のない欧州の第1次大戦で多くの米国兵士を失った米国の世論は、第2次への参戦は大反対だった。

・但し、ル大統領は、日本を経済封鎖(石油禁輸)に追い込み、何とか対米開戦させようと画策。うまく行けば、英仏、ソ連と組んで日本のみならずドイツをも粉砕せんとす。

【対米戦争への日本の思惑】

・昭和天皇以下軍部を含む日本の中枢の思惑は、対米戦争は勝ち目がないので、「太平洋」には向かわず、飽くまで「大東亜」を前提に蘭領東インド(現インドネシア)等の西方に戦線を限定すると言うものだった。

・ところが時の連合艦隊司令長官・山本五十六が、先ず真珠湾の米国艦隊を殲滅すべしと主張、同意無き場合は部下諸共辞職すると強弁。結果、1941年(昭16年)128日真珠湾を攻撃すると、途端にアメリカの世論が真逆にぶれ、日米の決戦が始まった。

・山本長官の誤算は続く。開戦4カ月目の19424月、アメリカが決死の本土空爆を決行、空母から発進した米軍機は帰還不能なため中国に着陸。プライドを傷つけられた山本はまたもや主力を東方ミッドウエーへ向かわせ、結果主力部隊を喪失。

【近衛文麿】

・本書は1937年(昭12年)の支那事変から194712月の真珠湾攻撃直前まで日本の戦争政策の(かなめ)に立ち、連続3期日本の首相を務めた近衛文麿に最も多くの頁を費やしている。著者の評価によれば、共産主義国家ソ連と組み日本に対米戦争を(けしか)けたアメリカのF.ルーズベルトも酷いが、近衛がまた負けず劣らず酷い。何しろ政権内の共産主義者と軍部を利用して日本を対米戦と敗戦に導き、昭和天皇退位後の玉座を狙ったというのだ。知らなんだが、この男は皇室に最も近い藤原道長(「この世をば わが余とぞ思う望月の 欠けたることも無しと思えば」という歌の詠み人)直系の子孫で、本書の著者は近衛の行為を『昭和の藤原の乱』と言って憚らない。

・だが、近衛についてはこれ以上のコメントは差し控えたい。というのも著者の林 千勝は本書とは別に『近衛文麿 野望と挫折』を著わしており、図書館から借りてきたその本が僕を待っているからなのだ。

 本書を読み終えてもウクライナ戦争はまだ続いている。目に触れる圧倒的に多数のメディア情報はプーチンのロシアが残酷に過ぎ、ゼレンスキーのウクライナこそ正義の味方と持て囃す。まさにそんな時に出遭ってしまった陰謀論と歴史修正主義に戸惑う我れ。だけんども一度しかない我が人生、迷ってみようどこまでも。

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2023829日)


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謀略と捏造の200年戦争(馬渕睦夫/渡辺惣樹) [読後感想文]

謀略と捏造の200年戦争(馬渕睦夫/渡辺惣樹)

 ユニークな対談集である。フランス革命から現下のウクライナ戦争に至る200年以上は、見えぬところで常に謀略に満ちており、一般に流布される釈明史観(教科書的歴史観)は捏造されているとお二人は説く。一方の論者・馬渕睦夫(もとウクライナ大使)は、世間は自分を陰謀論者と(そし)るがと自虐し、他方の渡辺惣樹(歴史学者)は自らを歴史修正主義者と(けな)して憚らない。

 読むにつれ、ロシア、ウクライナはともかく欧州と米国の歴史について余りにも知らぬことが多いことに愕然とした。そういえば学生時代、歴史の授業は明治維新の頃で終わってしまったような気がするが、あれはもしかして、敗戦に伴う価値観の激変に歴史の先生がフォローできなかったせいだろうか?とにかく初耳だらけの対談の中から、ほんのいくつかを挙げてみよう:

《共産主義者の米国大統領》

 第28代アメリカ大統領ウッドロー・ウイルソン(第1次世界大戦当時)も、第32代フランクリン・ルーズベルト(第2次世界大戦当時)も、ともに実質的には共産主義者だったと手厳しい。前者は、任期(19131921年)中の1917年にロシア革命が実現したとき、素晴らしい革命だと礼賛したという。なお、1919年に日本が国際連盟規約に人種平等を盛り込む提案をした際、16票中11票が賛成する中、連盟の議長だったウイルソンが全会一致を主張したため成立しなかった。一方のフランクリン・ルーズベルトは、大統領就任初年の1933年にソ連邦を承認、第2次大戦(1939-1945年)における米ソ協力に繋がった。

《ウクライナ戦争》

 対談者二人は一致して、この戦争の仕掛人は英米のグローバリスト(ネオコン)であって、ノルドストリーム2(ロシアードイツ間ガスパイプライン)を爆破したのも彼らであると主張、プーチンが戦っている相手は世界制覇を目論む彼ら欧米支配層であって、ゼレンスキーはアメリカの操り人形に過ぎないと言う。従ってプーチンの相手は所謂ディープ・ステートということになり、俄かには信じがたい説ではある。ただ、これまで余りに不勉強だった我れとしては、今は虚心坦懐に構え成り行きを注視したいと思う。 

 写真は最近散歩道でで出遭った百日紅(さるすべり)凌霄花(のうぜんかずら)に鉄砲百合。照り付ける陽をものともせず、それぞれがピンクに、橙色に、白色に、妖しげに輝いていた。

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2023819日)


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フィリップ・ショート著『プーチン』雑感 [読後感想文]

フィリップ・ショート著『プーチン』雑感

 老生には手に余る大作ゆえに、かの大統領には申し訳ないが、子供時代からKGB勤務時代を含む大半を読み飛ばし、21世紀に入ってからの大統領時代を読み進めた中で、特に印象深かったことをいくつか紹介したい。

プーチンはラスプーチン?

 629日付産経新聞の『産経抄』に面白おかしく、姓プーチンはもともとラスプーチンであったのを、母方の祖父がプーチンに改姓したとあったので、この場を借りて紹介したことがある。ラスプーチンというのは20世紀初頭ロシアのロマノフ王朝で暗躍した通称「怪僧ラスプーチン」のこと。しかし、今度読んだ『プーチン』(伝記)にそんな記述がないので、変に思って別途いろいろ検索したが、プーチン家の姓が以前ラスプーチンだったとの確証は得られなかった。プーチンは、どうも先祖伝来の呼び名であるらしい。

プーチンの任期

 ロシアに於けるプーチンの治世は、大統領の任期が憲法改正により16年、通算12年まで著増結果、任期末の来20245月まで24年間に亘ろうとしている(傀儡政権たるメドヴェージェフ大統領の4年を含む)。ところが彼の治世がそこでは終わらず、30年或いは36年に及ぶ可能性が出て来た。これは3年前の2020年に更なる憲法改正(これまでの大統領の任期をチャラにし、今後はゼロからスタートするという案)が国民投票により承認されたためである。この憲法改正案を発議した議員の名前(ワレンチナ・テレシコワ)を見て、脳裏に一瞬59年前、東京のどこかのステージに立つ彼女の姿が閃いた。1963年に地球を48周した女性初の宇宙飛行士であった。ボストーク6号から呼び掛ける声「Я  чайка」(ヤー・チャイカ: 私はカモメ)が世界のテレビ・ラジオを震わせた。後日彼女が来日した時に、大学でロシア語を学んでいた僕は彼女がステージに立つ日、何かの助っ人に駆り出されたのだった。あの頃20代の彼女も今じゃ86歳、国会議員になって12年、ソ連からロシアへ激動の時代を逞しく生き抜いているようだ。

ウクライナ戦争

 前回の投稿で触れた通り、本書の原作脱稿の文字通り数日後に突然ウクライナ戦争が勃発、ために発刊は一旦延期されたが、戦況膠着の折柄、30余頁を追加することにより発刊に踏み切ったようである。最終章の中でこの戦争に触れた記述のうち、著者の見方と思われる部分を以下に要約してみたい:

♢ アメリカは第2次世界大戦以来、同盟国にも敵対国にも自分の意思を押し付けようとしてきた。一方、ロシアは対等性を求め、それに伴う敬意も求めた。ロシアを戦争に駆り立てた遠景にはそれがある。

♢ 緒戦失敗の原因はプーチンによる彼我戦力の読み誤りで、それを齎したのは、それに至る十数年一連のチェチェン紛争、ジョージア戦争、クリミア併合、シリア内戦の成功体験であろう。

♢ この戦争は親戚殺し(ウクライナ人の4割はロシアに親戚がいる)。ウクライナ東南部は、戦争前は概ねロシア贔屓だったが、今やほとんどがキーウ支持に転じている。

♢ プーチンにとって、失敗という選択肢はあり得ない。もし講和が不可能なら、1953年に朝鮮で起こったような非公式分割線による休戦協定のような形で凍結されるのではないか。

 写真は、先週アパートの庭の樹で見掛けたアブラゼミ二匹。相い寄り添って妖しくも楽しげだった。ふと思った、ロシアとウクライナにもこんな時代があったことを。

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2023811日)


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プーチン(フイリップ・ショート著) [読後感想文]

プーチン(フイリップ・ショート著)

 こんなの見付けたよ、ってさり気なく旧友がラインで見せびらかした本のタイトルは、『プーチン』。予約手続きを経て、図書館から現物を渡されると、ずしりと重いので驚いた。上下2巻、合わせて900頁に余る。著者はBBC(英国放送協会)特派員でもあったジャーナリストの伝記作家フイリップ・ショート。人様の伝記を読むのは、かれこれ70年振り。まして存命中の、しかも偉人か悪人かさえ定まらぬ人物の伝記に触れるのは初めてのことだった。

 伝記、いや偉人伝には思い出がある。小学5年生の夏休みの宿題は、読書感想文。図書室から『石川啄木』だったか誰だったかの本を借りて、真面目に読んだはずだが、感想文として提出したのは「あとがき」にあった文章の丸写しだった。ある日の授業中(そのときも僕はいつものように上の空で聴いていた)、先生の口からいきなり僕の名前が出たのでびっくりした。先生は、宿題の感想文の講評をしていた。僕の感想文について、とにかくべた誉めしていた: とにかく凄い。とても小学生とは思えない、このまま行ったら末は芥川賞も夢ではない、云々。

 不思議なのは、そんな先生の言葉を恥ずかしげもなく素直に受け取ったことである。突如読書に目覚めた僕は、以来足繁く図書室に通って偉人伝を読み漁り、やがて文芸小説にも手を出した。すると、それまで5段階でほとんどが23だった通信簿が45に置き換わり、一年半後には卒業生を代表して答辞なるものを読んでいた。それは兎も角、この『プーチン』を著わしたフイリップ・ショート、代表作が『ポル・ポト』及び『毛沢東』とあるので、並みの偉人伝作家ではなく、どうやら奇人変人伝がご専門のようである。

 この夏は記録的な猛暑日が続いている。そのうちの1週間を暑さを忘れてプーチンとロシアの世界に沈湎したのは、この本のお蔭であろう。プーチン誕生から今に至る70年は、即ちソ連時代の後半からその滅亡と新生ロシアの誕生を経て今なお進行中のウクライナ戦争に至る70年に重なる。そのプーチンより8歳年長の僕は、この地球上ずっと一緒に棲んでいたことになる。読みながら、この70年が実に様々な歴史的事件の連続だったことに驚かされた。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊等の耳に馴染んだ事件もあれば、原子力潜水艦クルスク号沈没事件(乗組員119人全員死亡)等忘却の彼方のもの、或いはシリア紛争等の注意を一顧だに払わなかったものもあり、ひっくるめれば知っていたもの半分、知らなかったもの半分、という塩梅か。

 訳者あとがきを見ると、本書(原作)はもともと20222月半ばに一旦完稿していたようだが、幸か不幸かその数日後にウクライナ戦争が勃発したため急遽書き足すことになったようだ。多分その結果であろう、翻訳版の発行は戦争開始後1年以上を経た2023610日となっている。それにしても伝記ほど難しい書き物はないような気がする。ましてプーチンのようにまだ存命の、しかもあんな戦争を惹き起こした当事者を評価することは至難の業である。著者のフイリップ・ショートは1945年生まれだから、僕の一つ年下(77歳)、ということは物書きとしては結構なお歳であろう。それかあらぬか、著者のプーチンに対する眼差しには、同情と批判が交錯した何とも複雑なものを感じるのだった。

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202389日)


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