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プーチンの復讐と第三次世界大戦序曲 [読後感想文]

プーチンの復讐と第三次世界大戦序曲

 題名に惹かれつい図書館から借り出した本の、著者名(舛添要一)を見て意外に思った。もと厚労大臣、或いは小池百合子の前の都知事である。本も書くのかと思ったけれど、本職が国際政治学者とあるのを見て腑に落ちた。

 名も顔も売れているだけ気張ったのか、なかなかの力作で、情報は多岐多面にわたり隙が無い。時間はロシアやウクライナの歴史を遡り、プーチンの生い立ちにまで迫る。視野は世界に跨り、米ソ冷戦時代の終焉からアメリカの一極支配とNATO拡大までを俯瞰、最後には第三次世界大戦の勃発さえ危惧する周到さ。

 一方、この戦争を始めた法的な責任は紛れもなくロシアにあるとしながらも、不用意にNATOを東進させ、ロシアを追い詰めたアメリカも道義的な責任を免れ得ないと、正義の槌を振るう。本書を通じ総じて有益な情報に巡り合えたが、善悪の判断は、それだけは慎重を期そうと自らを戒めた。

 ちょうど本書を読み終えた頃、ワグネル代表のプリコジンがウクライナ戦線から部隊を引き連れてモスクワに向け進軍したと思ったら、翌日には反転、戦線に復帰するとのニュース。我れその昔(2855歳の27年間ずっと)ロシア(ソ連)の市場にどっぷり浸かって生きていた。共産主義で世を統べる等、とんでもないことをしでかす国だったが、その後も今も摩訶不思議なことが続いている。行く末をこの目が黒いうちに確かめたいが、どうも怪しくなってきた。

 写真は、アパートの庭に咲く百合の花。グーグルに訊くと、白はカサブランカ、ピンクはハカタユリとの答。山に咲く小鬼百合も恋しいが、いまは現世の、この百合を愛でよう。

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2023627日)


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夜に星を放つ [読後感想文]

夜に星を放つ

  2022年上半期第167回直木賞受賞作『夜に星を放つ(窪 美澄』を手に取ったのは5月下旬だったから、発売後1年が経過していたが、直木賞受賞作は人気が高いため図書館で順番を待てばまあこんなもんだ。読みたい本は図書館で借りよう、と決めたのは5年ほど前に狭い居室の本棚を捨てた時、断捨離などという大それた発想からではなく、これからはただつましく清く(?)生きようとしたからだった。

 しかしまあ、歳と共に本を読むのが辛くなった。とりわけ時代も場所もすべてが虚構の小説は、経年劣化した知覚にとっては難物で、登場人物が多いと忽ち誰が誰だかこんぐらかって、何度も頁を遡る破目に陥る。その点この『夜に星を放つ』は五つの短編から成っているので比較的には読み易かったが、それでも孫のような世代の主人公たち(小学生から30代前半期)の感覚をどこまで推し量ることができたか、甚だ心許ない。

 5話の主人公は、それぞれに辛い人生を送っている。彼・彼女らは、離婚後、子供にも滅多には会えなくなったサラリーマンだったり、あるいは学校で苛めに苦しむ女高生の場合、突然交通事故で亡くなった母が娘が心配で化けて出て来たり・・・。いずれも暗い人生のはずが、しかし筆は飄々として、苦しい中でも前向きに生きようとする健気な姿を垣間見せるので、読後感はむしろ爽やかだった。

 それにしても、この頃では本に向かうとき無意識のうちに気合を入れている。昔、確か前世紀も半ば頃、石川達三が『48歳の抵抗』という本を書いた。読んだことは無いけれど、そのタイトルに何か中年の抵抗のようなニュアンスを感じていたが、さて今我れ本を前にして()ぎる言葉は、「78歳の抵抗」・・・トーンはただ、限りなくか細い。

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(2023年6月11日)


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ウクライナ戦争と向き合う(第3章日本は何を学ぶべきか) [読後感想文]

ウクライナ戦争と向き合う(第3章日本は何を学ぶべきか)

 『ウクライナ戦争と向き合う(井上達夫)』は第3章(最終章)「この戦争から日本は何を学ぶべきか」で我が国に対し厳しい注文を付けている。

【当事者意識なき当事者・日本】

 この戦争は既に日本にとって他人事でも対岸の火事でもないのに、自らが火事場に立ち入っているという当事者意識が希薄に見える。日本が対ロ経済制裁に加わり、防弾チョッキ(戦闘用装備)と監視用ドローン(最新兵器)のウクライナへの提供をコミットしたことで、ロシアから見れば既にして立派な敵国なのに。《ゲーッ、そうなのか!》

【天は自ら助くる者を助く】

 今ウクライナで起こっていることは、まさにこれである。今から500年も前に政治思想家マキャヴェリが語った、「国際社会は自ら助くる者のみを助く」。

【日米安保条約】

 日米安保体制は、日本を防衛するためのものではなく、米国が世界戦略のために日本の軍事拠点を利用するためのものであり、米国が日本に「ただ乗り」しているという方が正しい。日本の安全保障を主体的に担うのは、あくまで自衛隊と日本国民自身であって、米国が日本を支援するのは、米国の戦略的利益に合致する時のみ。《エエーツ、ほんまかいな?安保にタダ乗りしてるは、日本の方じゃあなかったか?》

【喫緊の課題(憲法9条の改定)】

(1)   安倍改憲案は自衛隊を明記することを目的とするものだが、92項(陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを求めない)がそのまま残る愚案である《手厳しいなあ!》

(2)   おまけに自衛隊は、憲法的・法的統制が欠損している武装集団だから、そのままでは危な過ぎて使えたものではない。

 本書のエピローグで井上達夫は吐露する、ロシアがウクライナに侵攻したとき二重の驚きに襲われたと。第1の驚きは、「ロシアはなぜ、こんなひどいことができるのか」という倫理的な驚愕で、第2は、「ロシアはなぜ、こんな愚かなことをするのか」、という認知的次元の驚愕だった。どうもその驚きが著者をウクライナ戦争に向き合わせ、結果生まれたのがこの本のようである。「驚いた」のは同じでも、安全保障問題に疎い我れ、徒に驚くばかりで今に至る。ただ束の間、問題に向き合う著者の背中を必死に追う老眼が居たことは、それだけは確かだと思う。

 梅雨入りの候、巷の藪のそこかしこに可憐な花が目に付くようになった。クチナシの白い花。思わず口ずさむ、「くちなしの白い花、お前のような花だった」。流行ったのはふた昔も前だったか。歌った渡哲也を検索すると、三つ年上だが、没したのは3年前・・・つうことは?・・・妙な計算をふと止めた。

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202369日)


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仁義なき戦い(ウクライナ戦争と向き合う) [読後感想文]

仁義なき戦い(ウクライナ戦争と向き合う)

 『ウクライナ戦争と向き合う』—ふとタイトルに惹かれ図書館から借り出したこの本の、著者を見ると井上達夫・東大名誉教授(法哲学者)—一瞬、アカデミック過ぎると怯んだが、読むにつれ、何故か感じたのだ、著者が題名通りこの戦争を真正面から見詰め、問い掛け、返って来た答えを読み手に伝えようとしていることが。僕には稀有な体験だった。

NATO東進帰責論】耳慣れないので何かと思えば、ウクライナ侵攻時のプーチン演説に溢れていたNATOへの恨み節(かってはソ連圏に属した東欧諸国をついには全て取り込んでしまったNATOが悪い)。責任は不用意な東進を進めたNATOにあり、とするプーチンの理屈。この点については僕自身も騙されそうになったが、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻(国際政治学者・鶴岡路人)』を読んで、すべてはNATO・ロシア間の協議に基づく正式な合意結果であったことを知った。本書は更に当時の世界情勢の質的変化に触れ、NATOと対峙していたワルシャワ条約機構そのものが消滅結果、旧東欧諸国が集団安全保障を求めて自らNATO加盟を申請した結果であり、決してNATO側から画策したものではないことをリマインドしている。

【二悪二正論】これまた耳慣れぬ言葉だが、「あいつ(米国・欧州)も悪事を働いたから、俺だってやっていいはず、世の中すべてそんなもんよ」という理屈のようである。二悪二正論は、著者によれば誤った論理であり、我々が無意識のうちに陥りやすい思想の陥穽であるが、プーチンがこの罠に嵌まっているのではないかと憶測している。戦後の国際政治で米国は国際法を蹂躙する軍事介入を行って来た(ベトナム戦争、3回の湾岸戦争、コソボ紛争時のセルビア空爆等。著者は触れてないが、第2次大戦時の日本への原爆投下や都市への大規模な空爆もまた然り)。だが、二悪二正論が罷り通っては世界は収拾がつかなくなるので、あくまでも個別事案につき厳しく是々非々で判断すべきと著者は言う。

 とは言え、世界最大の核保有国にウクライナが勝利するのは容易ならざることであり、戦争の長期化は必然と著者は観る。唯一期待したいのは、ロシア国民が現実に目覚め、プーチン政権にノーを突き付けることだが、残念ながら彼らは徹底した言論統制下にあり、プーチンの支持率は高止まりしたままである。

【テレビと冷蔵庫の戦い】の結果に期待したいと述べたのは、ノーベル文学賞を受賞したベラルーシのノンフイクション女性作家スベトラーナ・アレクシェーヴィッチ(3年前からドイツ在住中。代表作『チェルノブイリの祈り』、『戦争は女の顔をしていない』)。曰く、「今、ロシア国民は完全に人間らしさを失ったような状態です。しかし、これから経済制裁でロシアの生活が次第に悪化していきますから、テレビ放送(注:プロパガンダ)と冷蔵庫の戦いが始まります(後略)」。

【対ロ経済制裁強化はロシア国民に過酷過ぎるか?】と著者は自問し、しかしそれは致し方ないことだと私見を述べる、「ロシアは事実上プーチンの独裁体制下にあるとはいえ、為政者を統制する法的・政治的な手段を国民が全く有しない純粋な専制国家ではなく、民主的に受権された独裁体制である。プーチンを大統領選挙で圧勝させ、長期にわたって政権の座を占めさせ、南オセチア紛争、クリミア併合、そして今般のウクライナ侵攻など、他国に対する責任を共有するという意味で彼の放縦な軍事的干渉を支持しているのは圧倒的多数のロシア国民である。(中略)プーチンがウクライナ国民に対していま加えている軍事的暴力に

対して、ロシア国民は責任を共有するという意味で、彼らは「無辜なる民」でも「無力な民」でもない。(中略)ロシア国民こそがプーチンの犯罪を止めさせる責任と能力を持つのである。」

Blowin’In The Wind(風に吹かれて)】最終の第3章のタイトルは「この戦争から日本は何を学ぶべきか」。著者はどうやらこの戦争にとことん向き合うつもりらしい。最終章の感想は別途お伝えしたいが、ここまでの第2章「戦争はいかにして終わり得るのか」の最後で著者は急に感傷的になり、ボブ・ディランの歌Blowin’In The Wind(風に吹かれて)を紹介している。この歌をロシアの民に捧げたいと言うのだが。

 How many ears must one man have before he can hear people cry?

 How many deaths will it take till he knows that too many people have died?

 How many times can a man turn his head pretending he just doesn’t see?

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202368日)


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ラーゲリより愛を込めて(ノベライズ小説) [読後感想文]

ラーゲリより愛を込めて(ノベライズ小説)

 シベリアの収容所で無念の死を遂げた山本幡男(はたお)の実話小説を読んだのは、実はこれが4冊目である(もとい、うち一つは今年正月に観た映画『ラーゲリより愛を込めて』だから、3冊プラス一本)。6年前に初めて読んだのが辺見じゅんの『収容所から来た遺書(初刊1989年)、2冊目は同じ辺見じゅんが20年後に同じテーマに再挑戦して書いた『ダモイ遥かに』、三つ目が昨年12月公開の映画『ラーゲリより愛を込めて』、最後の4つ目が映画のノベライズ小説『ラーゲリより愛を込めて』。辺見じゅん(2011年没)筆頭に同じ伝記物語に4度も挑戦した作る側の執拗さは並大抵のものではないが、それは取りも直さず、山本旗男の生きざまがそれほど人の胸を打つからに他ならないからだと思われる。

 かく言う己れ自身この6年の間に、山本旗男と取り巻く脇役(野良犬・クロ含む)の物語に何度も遭遇していたにも拘らず、今回もまた、油断するとつい涙腺が潤むのだった。物語そのものについては、これまで読んだ(観た)都度この場で感想を述べて来たので、敢えて付け加えることは無い。以下は自分に向けた単なる呟きである:

♢ 山本旗男の家族の名前: 母はマサト、妻はモジミ。いずれも変わった名前だと思う。モジミは、モミジならわかる。山本の出身が島根県隠岐郡というのでネットで少し調べたが、どうもよく分からない。子供4人のうち次男は厚生。これは厚生省の厚生に因んだものだと以前の本で読んだことがある(次男は1938年生まれ、厚生省の誕生は同年の1月)。

♢ シラミ、南京虫: 今度の本にもこれらの虫に苦しめられた話が随所に出て来る。抑留者が死んだかどうかはすぐ分かるらしい。死んだ途端、シラミが一斉に身体から逃げ出すからだ。僕自身は80年近く生きて来たが、シラミも南京虫も見た覚えが無い。ということは、それだけ幸せな国と時代に恵まれたということだろう(幼い頃の記憶は殆ど残っていないので、本当は遭っているのかも知れないが)。

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202362日)


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