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ウクライナ戦争と向き合う(第3章日本は何を学ぶべきか) [読後感想文]

ウクライナ戦争と向き合う(第3章日本は何を学ぶべきか)

 『ウクライナ戦争と向き合う(井上達夫)』は第3章(最終章)「この戦争から日本は何を学ぶべきか」で我が国に対し厳しい注文を付けている。

【当事者意識なき当事者・日本】

 この戦争は既に日本にとって他人事でも対岸の火事でもないのに、自らが火事場に立ち入っているという当事者意識が希薄に見える。日本が対ロ経済制裁に加わり、防弾チョッキ(戦闘用装備)と監視用ドローン(最新兵器)のウクライナへの提供をコミットしたことで、ロシアから見れば既にして立派な敵国なのに。《ゲーッ、そうなのか!》

【天は自ら助くる者を助く】

 今ウクライナで起こっていることは、まさにこれである。今から500年も前に政治思想家マキャヴェリが語った、「国際社会は自ら助くる者のみを助く」。

【日米安保条約】

 日米安保体制は、日本を防衛するためのものではなく、米国が世界戦略のために日本の軍事拠点を利用するためのものであり、米国が日本に「ただ乗り」しているという方が正しい。日本の安全保障を主体的に担うのは、あくまで自衛隊と日本国民自身であって、米国が日本を支援するのは、米国の戦略的利益に合致する時のみ。《エエーツ、ほんまかいな?安保にタダ乗りしてるは、日本の方じゃあなかったか?》

【喫緊の課題(憲法9条の改定)】

(1)   安倍改憲案は自衛隊を明記することを目的とするものだが、92項(陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを求めない)がそのまま残る愚案である《手厳しいなあ!》

(2)   おまけに自衛隊は、憲法的・法的統制が欠損している武装集団だから、そのままでは危な過ぎて使えたものではない。

 本書のエピローグで井上達夫は吐露する、ロシアがウクライナに侵攻したとき二重の驚きに襲われたと。第1の驚きは、「ロシアはなぜ、こんなひどいことができるのか」という倫理的な驚愕で、第2は、「ロシアはなぜ、こんな愚かなことをするのか」、という認知的次元の驚愕だった。どうもその驚きが著者をウクライナ戦争に向き合わせ、結果生まれたのがこの本のようである。「驚いた」のは同じでも、安全保障問題に疎い我れ、徒に驚くばかりで今に至る。ただ束の間、問題に向き合う著者の背中を必死に追う老眼が居たことは、それだけは確かだと思う。

 梅雨入りの候、巷の藪のそこかしこに可憐な花が目に付くようになった。クチナシの白い花。思わず口ずさむ、「くちなしの白い花、お前のような花だった」。流行ったのはふた昔も前だったか。歌った渡哲也を検索すると、三つ年上だが、没したのは3年前・・・つうことは?・・・妙な計算をふと止めた。

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202369日)


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