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露伴の娘 [読後感想文]

露伴の娘

 

 ふとしたきっかけで青木 玉のエッセイ集「小石川の家」を読み、面白かったので祖父である明治の文豪・幸田露伴の「五重塔」を読み始めたら、のっけから一つの文章がなかなか終わらないのに業を煮やしギブアップ。んで次に手を出したのが露伴の娘の(あや)の短編だった。父に比べれば簡潔な文章ながら、やたら難解な言葉遣いこちとら劣等感を抑えつつ、スマホの辞書的機能に助けられ何とか読み終えたそのうち玉の娘(文の孫、露伴のまた物書きであることを知ると同じ血を追い下ってみようかと思い立った

 だが人生はままならぬもの、次に読んだのは『精選女性随筆集』という名の、またも(あや)である。明治生まれの彼女は、傘寿(数え80歳)の僕からすれば母よりは祖母に近く、更には文豪露伴の薫陶を受けた語彙が余りに豊かなためなんどスマホに尋ねたことだろう。風趣風韻(風流な趣き)、格物致知(深く追求し広く知る)、柄漏(つかも)り(雨が傘の柄をつたって漏る)、気が煎れる(いらいらする)等々

 数あるエッセイの中、特に心を掴まれたのは『金魚』と『午前2時』、いずれも小さな生き物との出遭いの作品である。金魚は、例の夜店で買う奴、10匹買ったらもう1匹がおまけで付いて来た。このおまけが、しかし家族の誰もが「おまけ」では可哀想過ぎると言って一番の人気者になる。普通は数日で死ぬものが、この11匹は20日を過ぎてなお元気。しかし或る日、とうとう2匹が死んだ。死んだのはおまけともう1匹。おまけは分ったが、もう1匹がどれだったのか、家族の誰にも見分けがつかない。11匹みんなを可愛がっていたはずなのにおまけの他はどれが死んだのかさえ分からない、その不条理さに胸を衝かれる家族の様子が淡々と語られる。

 『午前2時』は、鼠との出遭い。寝静まった夜中に(あや)仕事をしていると幼い娘が起きて来てトイレに鼠が居るので用が足せないと言う。行ってみると、なるほど鼠が居て、追い払ったら臭いウンチが残っていたというだけの短い話し。面白かったのは場所を弁えた鼠の大事な場面に踏み込ん迂闊悔やむ著者の心の動きだった。瞬間つい連想したのは、鼠ならぬ猫のこと。前世紀末の14年間、我が家にいたモスクワ生まれの2匹の猫はトイレの中どころか便座に跨って用を足した。1匹は1996年、僕がアゼルバイジャンのバクーに単身赴任する直前世を去り、もう1匹は翌年、赴任中に亡くなったが、最後の最後まで人間トイレに固執したことを女房からの便りで知った。亡くなる当日も何とか立ち上がり、よろよろとトイレに入ったが、どうしても便座に上がれない。見かねた女房が抱き上げてベランダに運びタオルの上に置いて、そして頼んだそうだ、「よう頑張ったね、偉いよ。でも、もういいからここでして頂戴!」。

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 下に掲げる2匹の写真は以前にも紹介したことがあり、草葉の陰から「2度も公開しおって!」と唸られそうだが、珍しい風景と思うので再掲したい。

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