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小石川の家(青木 玉) [読後感想文]

小石川の家(青木 玉)

 

 手元の図書館の本が偶々尽きたので、「小石川の家」に手を出した。買った筈もないのに何故手元にあるかさえ不明な本。今はや昔の4年前に最後の職場を首になり、断捨離のつもりで本棚を捨て、本も大半を捨てた筈が残ってた本。そもそも作者の青木 玉とは誰なんだ?調べてみると、読んだことはないが「五重塔」で有名な明治の文豪・幸田露伴の孫娘。ちゅうことは、これも物書きで名の知れた幸田 (あや)の子供なのか。

暇つぶし半分で読み始めると、舞台は文京区小石川にある露伴邸、そこに住む老いた文豪(祖父)と出戻りの母・文との3人生活を孫娘の視線で描くエッセイだった。威張り腐る祖父にかしずく母、祖父に怒られしょげる自分を慰める母・・・・そんな何気ない日常の展開を読みながら、つい思う。人生傘寿のさなか、他人様の日常をこんな風にただ覗き見て何か意味があるのだろうか?おまけにこんな齢にもなって、初めて目にする漢字の多いこと: 三途の川の奪衣婆(だつえば)耆婆(ぎば)早来迎(はやらいごう)、・・・・。つんのめるように都度立ち止まってスマホに訊くが、スマホなど想像すらしなかった若い頃なら読み飛ばすしかなかっただろう。

戸惑いながらも読み進むうち、敗色が深まる東京空襲下の小石川の出来事にいつしか引き摺り込まれていたから不思議である。我が齢のことなどすっかり忘れて読み耽っていた。(可愛くて堪らなかった筈の孫娘をいつも叱責していた)露伴が肺炎で亡くなったのは終戦後2年目、評釈「芭蕉七部集」を仕上げて4カ月目、79歳のことだった(げつ、今のオイラの齢でも立派な仕事をしたもんだ)。

エッセイはなお心を掴んだまま離さない。大団円はその更に43年後に母・文が逝った時。葬儀を取り仕切るのは、喪主の玉。一部始終が感動的に語られる。その中に町屋の斎場の火葬場の場面が出て来て、玉は語る、「小一時間で母はすっかりこの世の苦行から解き放たれた姿になって、小さな壺を充たし桐の箱に納まって袈裟のような房付きの袋を着て私の手に抱えられ帰途についた」。

読み終えて思った、久し振りに良い文章に出遭った、理屈は言うまい、良いものは、ただ良いのだ、と。

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202439日)


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