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日米開戦の真実(佐藤 優) [読後感想文]

日米開戦の真実(佐藤 優)

 

 82年も前とはいえ、日本がなぜ米英に歯向かって戦争の火蓋を切ったのか解せなくて、この本を手に取った。著者は外交官時代に鈴木宗男事件に連座、東京拘置所に512日拘留の上、執行猶予付き有罪判決を宣告されて外務省退官を余儀なくされ、のち作家に転身した佐藤 優。

 知らぬことだらけの僕だけど、本書により初めて知ったのは、真珠湾攻撃直後政府が国民に向けてNHKラジオを通じ、開戦に至った理由を12回に分け懇切丁寧に放送、その任に当たったのが思想家の大川周明、放送の翌月にはこれが『米英東亜侵略史』として出版され、ベストセラーになったことである。その大川周明は、終戦翌年の極東国際軍事裁判初日に、同じ戦犯で真ん前に座っていた東条英機の禿げ頭をペチャペチャ叩いた逸話で有名である。大川はこの時パジャマに下駄履き、― 余りの狂態に裁判長が休廷を宣告すると、「一場のコメディーだ。みんな引揚げろ」と奇声を上げた。

 本書掲載の『米英東亜侵略史』が描く英国によるインド侵略の過酷さは凄まじい。英国はやがて東アジアに進出、中国(清)に対し阿漕にも阿片戦争を仕掛ける。一方、後発の米国は米西戦争でスペインからフイリピン、グアムを奪取、20世紀に入ってパナマ運河が開通すると、海軍力を飛躍的に高め、太平洋の覇権を狙って日本としのぎを削るようになった。大川が説く日本は正義の味方。日本が戦うのは自らを守るためばかりか、中国、朝鮮を西欧列強による植民地化から守り、インド等のアジア諸国を独立させるためだった。

 だが、負けたのは日本だった。読後に、改めて今の東アジアを見渡すと、日本の周りにはあの中国が、韓国が、北朝鮮が、そしてロシアが犇めいている。大東亜共栄圏?世のため、ひとのためとは何だったのか?生きとし生けるものはやっぱし己がため、家族のため、頑張ってもお国のために生きるのが精一杯で、それ以上は紛い物なのか、様々な思いが去来する師走の晩だった(写真2は、我がアパートへのアプローチ)。

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20231227日)


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もう一つの忘年会 [巷のいのち]

もう一つの忘年会

 

 師走22日吉祥寺に集った5人は、56年前の昔一つ商社に入社した同期の桜。うち一人は商社退職後樹木医に転身、今なお現役で頑張る彼の案内で井の頭公園を覗く。公園は、揃って傘寿の5人に付き合わなくてもよいのに、残秋も終りかけ、樹々の殆どは葉うち落としてスッポンポンの丸裸。未練気に残るモミジ葉もどどめ色にやつれ、寒空に震えていた。最初に童謡「ちいさい秋みつけた」を作曲した中田喜直(よしなお)の石碑を見て、次に井の頭弁財天(大盛寺)を、最後に野口雨情の歌碑「井の頭音頭」を訪れると、石碑には5番の歌詞が刻まれていた、「鳴いて さわいで 日の暮れごろは (よし)行々子(よしきり) はなりゃせぬ」。こんな歌はまったく知らなんだが、子供の頃歌ってた童謡のほとんどは雨情の作だった(シャボン玉、七つの子、赤い靴、雨降りお月さん、しょうじょうじのたぬきばやし)。

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 公園から街に戻り、蔵元居酒屋の青龍に座る。この5人、僅か5人、けれど出身は全国津々浦々、北は北海道、南は九州、本州は茨城、岐阜、京都にばらける。それどころか商社の時代は世界各地に散らばり棲んだ。南米ブラジル、豪州、ロシア、アゼルバイジャン、ドイツ、スペイン・・・。

 生ビールで乾杯の後はそろりと日本酒に移行。お酒は埼玉県の地酒“青龍”。このメンバーは要注意と思っていたのに、いつの間にかそれを忘れ果て、いつ別れて、どう帰ったものやら、気が付いたら明くる日、布団の中だった。ああ、これがほんまの忘年会!

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20231223日)


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卒後半世紀の忘年会 [忘れ得ぬ人々]

卒後半世紀の忘年会

 

 師走只中19日正午、都心は九段下の昭和館前に久し振りに参集したのは、半世紀以上前にロシア語を共に学んだ学友達。彼らは卒業するや世に四散したが、いつの間にか時々集まるようになった(己が原点を振り返るためなのか?)。会の名は最初は忘露会、いくら何でもということで、そのうち「望露会」に落ち着いた。

 やって来たのは4人。西ヶ原の学び舎で机を並べ座ったのは40人だったところ、半世紀の間に一人欠け、二人欠けて・・・世に在る者も広島、名古屋等に遠のいて、消息さえ知れぬ者もいくたりか。この日の申し合わせは、陽のあるうちは皇居のお堀に沿って周遊し、暮れ時にはかって女子大生だったマドンナ二人も加わって、忘年の杯を交わす手筈。

 田安門から皇居に入り、三宅坂に抜けて、時計とは逆に堀を巡る。秋は既に終末の景色、所々イチョウが黄色に燃え、モミジが紅く妖しく輝くも、樹々は落葉が進んで丸裸の中、真っ黄色に染まった(いぬ)枇杷(びわ)1枚目の写真)と、辛うじて錦木(にしきぎ)の枝にしがみ付く葉っぱの赤(写真2枚目)が目に染みた。我れ東京に住みながら灯台下暗し、人生傘寿(数えの80歳)を越えて初めてまみえた桜田門に坂下門。正門の二重橋に近付くのは(写真3枚目)中学の修学旅行以来のことだった。

 皇居ツアーの最後に大手門を入って東御苑を歩き、北桔橋門(きたはねばしもん)から街に出た。そして竹橋の如水会館の脇にある母校発祥の地の記念碑を背に記念写真(4枚目)を撮った後、神保町のダイニングカフェー「エクスペリア」へ。ここにマドンナ二人が加わって、飲めや歌えの・・・いや、我らは傘寿の揃い踏み。店内のそこかしこに溢れる子供や孫のような世代の声がさんざめく中、ぽつりぽつりと来し方を語り合ううち、誰かが言った、僕らがロシア語の会話を教わった女性のタチヤーナ先生は、実はモルドバ人だったと。驚いた、自分はルーマニア人だと自己紹介があったので、60年間そう思い込んでいた。ヨーロッパは複雑怪奇、やっぱり、目の黒いうちは本を読んで、少しでも視野を広げよう・・・ビールのせいか、一瞬そんな青臭い思いに憑りつかれた宵だった。

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20231221日)


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寿命が尽きる2年前 [読後感想文]

寿命が尽きる2年前

 

 著者の久坂部 (よう)68歳の医者であるのに拘らず、人間年老いたら出来るだけ病院や医者は避け、健診も控えるよう忠告する。特に延命治療は患者の最後の人生が悲惨なことになるので避けるべしと訴える。そんな著者の父親もまた医者だったのに、著者に輪をかけて長生きを恐れたのは、その悲惨な実態に嫌というほど遭遇したためだった。父親はだから晩年、自由気ままな生活を送り、息子にいくつもの名言を残す。その一つが、「ライオンは野菜を食べない」。父は大の偏食家で、87歳で亡くなるまで野菜にはまったく手を付けなかった。

 寿命を迎えた患者には延命措置はすべて無駄で、むしろ有害だから、医者も本心ではやりたくない。救急車も同じで、隊員は内心、どうしてそっと死なせてやらないんだと思いながら、やむなく運ぶのだそうだ。著者によれば、一瞬の事故や、風呂に浸かりながら心臓発作等で死ぬのが、本人的には幸せだろうと(確認はできないが)推測する。この箇所を読んで、あっと思った。今からは半世紀以上前のことだが、初めてフイアンセをふる里に連れ家族に紹介した時、喜んだ祖父が、正月でもないのに家中の障子を貼り替えて迎えてくれた。祖父が急逝したのはその2か月後。昼間百姓して、夕餉に晩酌を呑んで、風呂に入ったのが最後だったと聞いた。あられもない格好でと長年思っていたが、あれが理想的な死に方だったのか?

 締め括りに著者は提案する、寿命が尽きる2年前に踏ん切りをつけ、それからは前向きに構えやり残したことに思い切り挑戦することを。ひとは問うだろう、2年前とはいつなんだ?・・・著者の答えは決まっている、それは今でしょう!

 僕今79歳、齢のせいか、その言葉が心を鋭く貫いた。

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20231214日)


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黄色い秋 2023年 [巷のいのち]

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 日が短い冬場の夕方は、近所の小学校の学童の先に立ち数人ずつを彼らの自宅付近まで送る「パトロール」なる稼業にいそしむ日が多い。昨夕、そのパトロールの道に銀杏の葉っぱが散り敷いているのを、とある学童の女の子が歩きながら、気に入ったのを見つけると拾い上げ、掌に集めるのを時々手伝ってあげた。パトロール仲間の小母さんがご高説を垂れる、「銀杏は葉っぱで雌雄の見分けができるよ。割れ目があるのが雄で、無いのが雌なの」。そして僕だけに囁いた、人間とは逆ねえ。

 前から不思議だった、銀杏の葉は何でいろいろなんだろう?割れ目が無いのもあれば、一つだけのものも、いくつも割れたものもある。小母さんにお礼を言った、お陰様でまた一つ賢くなりました。

 パトロールから帰った晩、覚えたての知識を確認しようとパソコンで検索をかけた。と、いろいろ探すうち、目に飛び込んで来たのは・・・「切れ込みのある葉は雄で、無いのは雌という驚きの説は、俗説です。実際には葉で雌雄の区別はできません」。

 

 ちょうど今、公園も街路樹も銀杏は真っ黄色に染まり、しきりに落ち葉を撒いている。昔フランク永井が歌った『公園の手品師』では、これをトランプのカードに喩えていた。去年の秋にも引用させてもらったので恐縮ながら、2番の歌詞は次の通り: 「雲が流れる公園の 銀杏は手品師 老いたピエロ 口上は云わないけれど なれた手つきで(中略)カードを撒くよ 秋がゆくんだ 冬がくる 銀杏は手品師 老いたピエロ」。

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20231213日)


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錦秋 六義園 [巷のいのち]

錦秋 六義園

 

 昨日の投稿で触れたように我が住む都心の北区も秋が進み、江戸二大庭園の一つなる六義園ではハゼノキに代わってモミジが主役に躍り出、赫々と、ただひたすらに赫々と身をくねらせていた。その姿態に当てられたのか、その翌日もまた気が付いたら六義園の門を潜っていた。二日連続は初めて、一つの秋に7回来るのも初めてのことだった。老いた我が記憶装置は殆んど機能しないため、艶やかな姿見掛け次第スマホをかざしたうちの5枚をここで紹介したい。

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 園内を巡りながら時々はベンチに休み、開いた本はユダヤ人のモルデカイ・モーゼ著(久保田政男訳)「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」(1979年初版、1999年再版)。のっけからひき込まれた、ぞくぞくするよなことが書いてある。天皇制も、武士道も、義理人情も家族制度も、戦前の日本は比類なき制度を持っていたのに、それらすべてをぶち壊したのは我々ユダヤ人だった、と、次から次へと謝罪の羅列。いい気になって読むうち、44頁あたりではてなと思った、余りにもここちよすぎるではないか?で、本を検めると、原語の題名が見当たらない。ネットで検索しても確たる情報は少ないが、一つだけあった。それによるとモルデカイ・モーゼは翻訳者とされる久保田政男その人のことだと・・・。これだけの情報で判断するのは早計かもしれない。迷いつつも、しかし決めた、明日図書館に返しに行こう。読まれるのを待っている、次の本が気に懸かる。書名は、『寿命が尽きる2年前』。

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20231210日)


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ウクライナ・ダイアリー(ウクライナと汚職) [読後感想文]

ウクライナ・ダイアリー(ウクライナと汚職)

 

 ウクライナ・ダイアリーを締め括る章は、「もう一つの戦い」。戦う相手は、汚職。ウクライナは政府機関に蔓延る汚職で悪名が高い。ロシアによるウクライナ侵攻から1年が経った頃、二人の記者が国防省による兵士用食料調達価格の巨額な水増し疑惑をすっぱ抜いた。著者はこの二人の記者に会見、意見交換した内容を披露している。二人によれば、侵攻前は毎日のようにあった内部告発が、侵攻後はさすがに無くなっていたが、半年も経ったら毎日1通のペースで届き始めたと。

 二人は、過去10年の間に汚職の規模は確実に減少して来たが、更なる縮小を目指し告発し続けることが自分たちの使命だと自負しつつ、「汚職こそ、『ルースキー・ミール(ロシア世界)』そのものだと力説。そのとき著者は思わず、ロシアの獄中にいる反体制指導者ナワリヌイ(かって毒殺されかかった)の言葉「プーチンの統治とはつまり汚職だ」を思い出し、ウクライナが抱える問題はきっとソ連時代に根がある汚職の文化で、「ロシアの軛」に違いないと考える。

 浅学の我れはといえば、かってのソ連や今のロシアの汚職については知識の欠片もないが、ロシアにしろウクライナにしろ、それは彼ら自身が選択した道なのだから、我らにはどうのこうの非難する権利は毛頭ないように思われる。単純に過ぎるかもしれないが、国家とは家庭のようなものではなかろうか?隣の旦那がアル中で早死にしそうだからといって、禁酒を強いる勇気は、少なくとも僕には無い。

 たまたま今日の産経新聞に「ウクライナ EU加盟暗雲」の記事有り。ハンガリーが反対とあって、理由の一つに『汚職』が挙げられている。このケースは理解できる。EUに加盟するというのは、一つ家に住むことであろうから。

 写真は今日の六義園のハゼノキである。六義園の主人公は、すでにモミジやカエデに置き換わり、(はぜ)は盛りを過ぎて、池辺の老木などは葉うち落としてすっぽんぽん。渡月橋に右から枝垂れる櫨だけが、左から迫るモミジに負けじと断末魔の炎に染まっていた。そして、熊笹の上に落ちていたのは、ちいさい秋。

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 最後に出口で、職員の女性に尋ねた、「ここはハゼノキが多いけど、一体何本あるんですか?」。他の職員にも相談し、出て来た答えは、約45本。ええっ、驚きながら口を衝いて出たのは、そんなに?きっと世界一だ。と、今度は女性の方が目を丸くした。・・・年頃の女性に軽口をたたくのは、久し振りのことだった。

2023129日)


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ウクライナ・ダイアリー(ホロドモールとブチャ) [読後感想文]

ウクライナ・ダイアリー(ホロドモールとブチャ)

 

 この本はウクライナ戦争さなかの、現地からの特異なレポートである。なぜ特異かと言えば、僅か2年前に(ロシアが侵攻する前年に)キーウに住み始めたばかりの日本人ジャーナリストによる生々しい記録だからである。著者・古川英治(50歳代半ば、数年前ウクライナ女性と結婚)は2021年まで日経新聞に在籍、モスクワ特派員を2度勤めた。視点はロシア人でもウクライナ人でもない、おそらくは異邦人のもの。

 モスクワ特派員時代の2015年、彼はウクライナを訪れ、ホロドモール(スターリン体制下のソ連で19321933年ウクライナで発生した人工的な大飢饉。強制的な富農撲滅・農業集団化によりウクライナで四百万人以上が餓死)から生き残った89歳の老人から話を聴いた。当時6歳だった証言者は、隣家の母親が餓死した娘の体から肉を切り取るのを目撃していた。そのインタビューから7年後(ホロドモールからは90年後)の2022年、著者は、キーウに侵攻して来たロシア軍撤退後にブチャに残された虐殺現場を実見して、息を呑む。そして後日、日本において学生の一人から「ウクライナの自作自演だという報道もありますが?」と問われ、再び息を呑んだ。

 読んでいる僕自身、何だか最近、テレビや新聞、ましてネットニュースが大変だ大変だと騒ぎ立てても、つい「ホンマかいな?」と疑い深くなっていた。ブチャのことも、だから鵜呑みにはしていなかった(ロシアに10年住んで、多くの善良なロシア人と付き合っていたので、本当であってほしくなかった)。ただ、どちらかと言うと、ロシアのことだからやりかねんなあ、という不安もあった。消すことが叶わない歴史があった。今からは78年前の日本の敗戦まじか、日ソ中立条約を破ってソ連が満州、樺太、千島に雪崩れ込んで来た時に、今回と同じ囚人兵を交えたソ連兵が日本人に与えた非人道的な仕打ちに関する資料は枚挙にいとまなく、そのことは満洲開拓民であった親類の人からも直接聞いていた。

 終戦から46年後にソ連が崩壊した後も、チェチェン紛争に於いてロシア兵がチェチェンで行った非人道的な行為について、女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤの告発本を読んだこともあった。それでもなお、今回ブチャ等で起こったことは何かの間違いであってほしいと願う気持ちがあった。問題は二つ、この戦争の是非そのものと、そのやり方。だからついつい関連本に手を出して、これがその22冊目。なのに今もなお迷える老羊なのだ。

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2023128日)


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師走2023年 [巷のいのち]

師走2023

 

 “師走”が12月の異名だと知ったのは、恥ずかしながら、ついこないだのこと、それまでは、年末が近づくとそろそろ師走かと、ぼんやり感じるままに過ごした78年だった。思えば我が人生一事が万事そんな調子だったため、最近は曖昧に覚えていた言葉に出遭うたびにスマホで確かめるようになりました。

 師走の2日に六義園で出遭ったハゼノキのちいさな秋のことは前稿で報告しましたが、同園で見た他の樹の秋景色の一部を紹介します(写真順に、紫式部、銀杏、モミジ、イロハモミジ)。ご覧のように秋も大分深まり、錦秋はもう直ぐのようです。

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 師走の初日、老夫婦揃って初めての病院を訪問。日頃行きつけのクリニックの紹介状を携えて、認知症の診断をしてもらうためだった。数頁に亘るアンケートを提出し、専門医からのいろんな質問に答えた結果、二人とも現状では精密検査までは必要ないでしょうとのことであった。

 師走の夜、例年のようにアパートの庭にイルミネーションが灯った。大和様式ではないけれど、年の終わりを告げるには十分な雰囲気。どうやらこのままもう一つ、年の瀬を跨ぐことになりそうだ。

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2023126日)


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ちいさい秋みつけた2023年 [巷のいのち]

ちいさい秋みつけた2023

 

 今年の秋もまた、童謡「ちいさい秋みつけた」の(はぜ)の木の紅葉を追って、六義園を四たび訪れた。最初は10月に入って直ぐ、1010日付投稿「秋立ちぬ」で紹介したように、ほんの一部のハゼノキの枝先の葉が赤味を帯び始め、ひと月後の11月上旬になると、116日付「ちいさい秋みつけた(アメリカの根源的大罪その2)」の通り、ハゼノキ全体の6~7割に秋が進んでいた。

 3回目は1125日。ここに掲げる3枚の写真のように3週間のうちに秋は更に先へ進んでいた。その日改めて認識したのは六義園にあるハゼノキの数。116日の投稿でいかにも物知り顔に、同園には十数本も有るとほざいたけれど、とんでもない。今頃赤く燃える樹は殆んどがハゼノキ、本数は?老いた頭には数えるのが無理だった。

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 そして最後に行ったのは一昨日の122日。さすがにモミジ、銀杏も衣替えを始めてはいるものの、目に付くのは小さい秋の真っ赤なべべ。この瞬間、秋はハゼノキの独り舞台のようなのだ。足元の熊笹の葉の上にべべの一切れが零れていた ― 君知るや、サトウハチローの歌詞の締め括りを、「むかしのむかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色 ちいさい秋ちいさい秋ちいさい秋 みつけた」。

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2023124日)


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