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卒後半世紀の忘年会 [忘れ得ぬ人々]

卒後半世紀の忘年会

 

 師走只中19日正午、都心は九段下の昭和館前に久し振りに参集したのは、半世紀以上前にロシア語を共に学んだ学友達。彼らは卒業するや世に四散したが、いつの間にか時々集まるようになった(己が原点を振り返るためなのか?)。会の名は最初は忘露会、いくら何でもということで、そのうち「望露会」に落ち着いた。

 やって来たのは4人。西ヶ原の学び舎で机を並べ座ったのは40人だったところ、半世紀の間に一人欠け、二人欠けて・・・世に在る者も広島、名古屋等に遠のいて、消息さえ知れぬ者もいくたりか。この日の申し合わせは、陽のあるうちは皇居のお堀に沿って周遊し、暮れ時にはかって女子大生だったマドンナ二人も加わって、忘年の杯を交わす手筈。

 田安門から皇居に入り、三宅坂に抜けて、時計とは逆に堀を巡る。秋は既に終末の景色、所々イチョウが黄色に燃え、モミジが紅く妖しく輝くも、樹々は落葉が進んで丸裸の中、真っ黄色に染まった(いぬ)枇杷(びわ)1枚目の写真)と、辛うじて錦木(にしきぎ)の枝にしがみ付く葉っぱの赤(写真2枚目)が目に染みた。我れ東京に住みながら灯台下暗し、人生傘寿(数えの80歳)を越えて初めてまみえた桜田門に坂下門。正門の二重橋に近付くのは(写真3枚目)中学の修学旅行以来のことだった。

 皇居ツアーの最後に大手門を入って東御苑を歩き、北桔橋門(きたはねばしもん)から街に出た。そして竹橋の如水会館の脇にある母校発祥の地の記念碑を背に記念写真(4枚目)を撮った後、神保町のダイニングカフェー「エクスペリア」へ。ここにマドンナ二人が加わって、飲めや歌えの・・・いや、我らは傘寿の揃い踏み。店内のそこかしこに溢れる子供や孫のような世代の声がさんざめく中、ぽつりぽつりと来し方を語り合ううち、誰かが言った、僕らがロシア語の会話を教わった女性のタチヤーナ先生は、実はモルドバ人だったと。驚いた、自分はルーマニア人だと自己紹介があったので、60年間そう思い込んでいた。ヨーロッパは複雑怪奇、やっぱり、目の黒いうちは本を読んで、少しでも視野を広げよう・・・ビールのせいか、一瞬そんな青臭い思いに憑りつかれた宵だった。

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20231221日)


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