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秋匂うとき(猫との別れ)   [忘れ得ぬ人々]

 秋匂うとき(猫との別れ)  

 

昔モスクワから連れ帰った2匹の猫については、2年前の6月、『ハリネズミ物語』のタイトルで6回にも分けて投稿していた。なのに、先日投稿した『秋匂うとき』の中で兄貴分の方のモルジクについて触れたのは、彼と永久に別れた日も今頃のように金木犀が匂っていたと、初めて妻から聞いたからである。実は2匹目のヨージク(ロシア語でハリネズミちゃん)が旅立ったのも翌年の9月、その時の様子を『ハリネズミ物語』の最終回に載せていたので、以下に再掲させてほしい:

【二匹のシベリアの森の猫は、最初はちっぽけな子猫だったのに、日を追うにつれ大きくなった。兄貴分のモルジクはスリムな胴長だが、それでもピーク時の体重は7キロほど、一方の、子猫の時はどことなくハリネズミに似ていた弟分のヨージクは13キロにもなって、抱くとずしりと重い。気性はどちらも穏やかで、人を恐れることもなく、御用聞きなどの客が来ると、玄関に出迎えた。

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  モルジクは娘の、ヨージクは息子のものという建前であった。ある日姉弟の口喧嘩が始まり、いつものようにその時も姉の舌鋒が鋭く、弟がタジタジになった。と、いきなりヨージクが姉の背中を駆け上がり、その頬にがぶりと嚙みついた。唖然とした姉は、しかし可笑しくなって笑い出したらしい。

  モルジクが異界へ旅立って間もなく、僕は初めての国アゼルバイジャンへと赴任して行ったが、それがまさかもう一匹の猫との別れになるとは思いも寄らなんだ。一年後の9月に妻から便りがあって、ヨージクが日毎に元気を失って、とうとう永久の旅に出たという。その3か月後、娘の結婚式のために一時帰国した折にその時の様子を妻から聞いた。ヨージクは、どんなに衰弱しても人間トイレで用を足そうとしたそうだ。ただ最後の最後はトイレに上がろうとして、どうしても上がれない。見かねてベランダへ抱いて行き、タオルの上に置いて、もういいよ、ここでしな、と話したそうだ。

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  旅立つ前日の昼間、ヨージクはベランダに横たわり、妻は居間でうたた寝をしていた。ふと、足元に二つの影の様なものが蹲っているのに気が付くと、それがドーナツみたいになって脚先から上がって来て手の先まで通り抜ける。二つ目のドーナツも同じように体の中を通り抜けた。すると突然身体が軽く、気分が爽やかになって、臨終に臨んでいた悲しみが嘘のように消えたというのだ。不思議なこともあるもんだ(モルジクが、まさか迎えにやって来たわけでもなかろうに)。】

  ヨージクの命日は同じ9月でもモルジクとは4日違い、しかもその日は妻の誕生日。慌てて訊いた、「その日も金木犀は匂っていたか?」。「いや、匂ってなかった」 決然たる答え。その年の秋は遅かったに違いない、嗅覚、記憶力ともに優れた女房殿が言うんだもの。

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20231030日)


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アメリカ 闇の政府 [読後感想文]

アメリカ 闇の政府

 馬渕睦夫著『ディープステート 世界を操るのは誰か』を読んで、近現代に世界に起こった重大事件や今も進行中の事変は、殆どの場合、米国のディープステート(闇の政府)が画策した結果であるとの説明に、おっ魂消てしまった。著者はかってウクライナ、イスラエル、キューバ、タイの大使を歴任したことがあるノンフイクション作家で、DS(Deep State)陰謀論者とも呼ばれている。同氏を読むのは3冊目。最初は胡乱な目で読んでいたが、これまで歴史解釈等で辻褄が合わなかったものが次々と氷解するにつれ、真摯に向き合うようになった。

 著者の説明では、DSとはユダヤ系のウオール街の国際金融業者が中心となり、米国政府の閣僚、高級官僚と連携して、世界を国境なき画一的なデモクラシーに纏めようとする国際的な秘密結社のようだ。目的のためには手段を択ばない。第1次世界大戦も第2次も仕組んだのは彼らで、ロシア革命も支援。のみならず、毛沢東を支援し、中国の赤化を図ったのもDS。更には、長きに亘ったあの東西冷戦さえ八百長だったというのだ。

 ただ、そんな中、真っ向からDSに立ち向かったのがトランプだった。彼の方針はDSとは真逆で、「アメリカ・ファースト」、各国がそれぞれ自国の利益を優先することこそが、ひいては世界のためになる、というもの。トランプは、しかし二期目の大統領選挙で落選。圧倒的多数の投票を獲得しながら、DSが支配するマスメディアによる不正選挙の誹りを受け、これまたDS影響下にあったFBI等の司法機関の擁護も得られぬままの落選であった。

 著者の見立てでは、ウクライナでプーチンが戦っている本当の相手は、ウクライナのゼレンスキーではなく、DSである。プーチンは早くからDSの存在に気付き、対決姿勢を鮮明にして来た。この戦争はプーチンを失脚させるためにDSによって仕組まれたものだと言うのだ。

 著者によれば、かっての国際連盟も今の国際連合もDSの傀儡のようなのだ。すべての話しが、傘寿(数えの80歳)に至るまで教わり学んだことと余りにかけ離れているので途方に暮れるが、YouTubeで見る著者は真摯に、あくまでも真摯に語りかけてくる。この先も我また真摯に、耳傾けてみよう。

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20231028日)


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貴様と俺とは同期の桜 [忘れ得ぬ人々]

貴様と俺とは同期の桜

 昨日は秋の夕べ、高田馬場のへぎそば昆に集まった老兵4人は、56年前一つ商社に入社した同期の桜。うち3人は保谷(現・西東京市)の独身寮で寝食、遊びまで共にした老朋友同士、残る1人は寮は別でも60年前、大学のロシア語教室で机を並べた古友中の古友である。

 歳深まるにつれ疎遠になるのは世の常、ましてコロナ下のこの3年は滅多には会えなんだ仲間と酌み交わす酒は、まるで臓腑に沁み入るような味である。同期の桜ではあるが、酒に麻雀にと互いを求め合ったのは、新入社員の頃だった。そのうち一人が香港に去り、二人目がモスクワへ、或いはブラジルというように、散り散りにばらけて時が過ぎ、気が付いたら還暦を過ぎていて、漸くあいつどうしてるかと互いを探し求めたものだった。

 不思議なのはこの日座って最初の内こそ、腹を切ったの、前立腺癌をどうのと言い交わし、齢は争えんと言い合っていたものが、杯を重ねるにつれ何だか互いの顔が若返り、ついには知り合った頃のように見えてくる。こりゃ、やばい、と誰かが思ったのだろう、そろそろお開きにしようと言い出すと、昔と違って、ぐずる者などいなかった。

 帰りの電車に座った時、ふと思い出す、今日の宴には伏線があったことを。半月前のことである。I君からラインで、たまには集まりませんか?との提案を受けた、僕が頻りにボヤいているからと、齢を取るとはこういうことか、とか何とか言って。驚いて探すと、その前日の投稿『地球が段々虚ろに見えて』の中で書いていた、「この3年半、数えてみれば人様との付き合いが激減して久しい。それをコロナのせいにしていたけれど、齢を取るとはそういう事なんだ」と。そして次のように締め括っていた、「知り人との出会いが絶え、馴染みの店も次から次へと消えて行く。地球が、なんだか段々虚ろに、虚ろに見えてくる」。

 電車と酔いに揺られながら思った、友よ、有難う。

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20231027日)


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秋匂うとき [忘れ得ぬ人々]

秋匂うとき

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 10月も半ばになって漸く金木犀がオレンジ色の花をつけた。去年は9月末だったのに、今年は猛暑の夏が長く続いたせいだろう。ひとり散歩から戻り、妻にそのことを話すと、あの時も金木犀が匂っていた、といきなり言う。質すと、今は遥か昔、猫のモルジックが死んだ日のことだった。彼はモスクワ生まれのサイベリアン・フォレストキャット、2回目のモスクワ駐在時代の1982年、プチーティー・ルイナック(鳥の市場)で僅か3ルーブル(900円)で求めた猫だった(その後暫くして、実はもう一匹の猫ヨージックが家族に加わった)。

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 4年の駐在期間を終えていざ帰国となった時、とても2匹までは連れて行かれないということになり、可愛がっていた姉娘が登校時モルジックを近所の公園に捨ててきた。ところがそのモルジック、下校途中の弟に拾われ帰って来ると、当然のように家族の一員としてJALに乗り、ついには日本の猫になった。

 2匹は、モスクワの社宅時代、東京のアパート暮らしを通じ家族によく懐いて、穏やかな猫生を過ごしていたと思う。いずれも、しかし例外が居て、それは僕だった。夜遅く帰って来て朝はいなくなる、まるで下宿人のようだった。時々は酔っ払って帰って来ると、酒臭い息が籠る布団に引き摺り込まれ・・・。

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 一つ家族になって15年目の9月のこと、モルジックが珍しく僕にも懐きはじめたと思うそばから、日を追うごと衰弱を増し、食べ物も受け付けず、動くのもままならなくなった。そしてある日の晩、急に立ち上がると、足を引きずりながらよたよた歩き始めた。息子の部屋へ、娘の部屋へ、妻の所へ、最後は僕の所へも来て「ミャア」と一声。まるで「ありがとう」と言うように。

 翌朝、納戸の狭い部屋で、モルジックは冷たくなっていた。1996915日、それは僕がアゼルバイジャン共和国のバクー市に単身で赴任する2カ月前のことだった。そのときに金木犀が匂っていたなんて思いもよらなんだが、間違いないと思う。嗅覚、記憶力とも僕に遥かに勝る女房殿のことだもの。

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20231025日)


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ヒトラーの真実(福井義高) [読後感想文]

ヒトラーの真実(福井義高)

 本書の原題は長い。『教科書に書けない グローバリストに抗した ヒトラーの真実』とはどういう意味だろう?実は最初見当もつかなんだ。読み終えて初めて腑に落ちた。ヒトラーは決して世界制覇を目論むようなグローバリストではなく、ただ自国ドイツの幸福を追求したに過ぎない。危険なグローバリストは寧ろ世界の共産化を狙うスターリンや、偏狭な自由民主主義に凝り固まり、親露的でもあったフランクリン・ルーズベルトやチャーチルの方だった。驚いた、第2次世界大戦を惹き起こした筈のヒトラーを擁護し、正義の味方の筈の方を(けな)すとは!

 しかし妙なのは、読み進むにつれ、ヒトラーのドイツ(人)が段々可哀想に思えてきたことである。本書の舞台は、二度の世界大戦の狭間のドイツを中心とする欧州で、それはちょうどヒトラーが権力の座に上り詰める時期に相当する。第1次大戦に負けたドイツ側に余りにも過大な賠償金が課せられたことが、第2次大戦を呼び寄せた要因の一つであった、とまでは聞いたことがある。だがこの本にその先を教えられた、賠償金はヒトラー政権の時期こそ支払いが拒否されたが、第2次大戦終了後に支払いが再開され、完済されたのは2010年。ということは、何と百年近くかかって完済されていたのだ。

 第1次大戦の結果ドイツ(人)が蒙った悲劇は(知らなんだのは僕だけかも知れないが)、膨大な債務に留まらない。少なからぬ領土と住民(殆どがドイツ人)が隣国のフランス、ポーランド、チェコスロバキア等に割譲され、その殆どが今も変わらぬ状態にあるのだ。この領土問題こそが、ドイツを再びの戦争に追いやった主因と思われる。現に第2次大戦は、ドイツによるチェコのズデーデン地方併合の後、ポーランドへの侵攻に端を発した。

 本書は、第2次大戦開戦前夜の、風雲急を告げるところで終わっている。仮にもし、いのちある間に続編が出たならば、訪ねてみよう図書館を。

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20231018日)


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しろがねの葉(千早 茜) [読後感想文]

しろがねの葉(千早 茜)

 久し振りに小説の世界に沈面した。踏み入ったのは、戦国末期の石見(いわみ)の国(島根県西部)の寒村だった。幼いウメが親にはぐれ、ふとした縁で石見銀山の採掘集落に住み着き、成長して娘になりやがて結婚するが、亭主を鉱山の職業病である肺の病いで失い、再婚した相手も同じ病で失う。のみか最初と二度目の亭主それぞれの間に生まれた息子二人まで鉱山病に奪われ、一人老いてゆく女の一生である。と言えば、どこまでも続く坑道みたく滅茶苦茶暗そうなのに、ハラハラドキドキの場面もあれば、ウメが無心に夢を描く時もあり、まるで苦楽綯い交ぜた現世のようだ。時には、妙に艶めかしいシーンまでが待っている。例えば、

「『ウメさん』と掠れた声で龍が言い、そっと擦りつけてくる。母性に近い感情で、躰の中に入れてやりたいと思った。『ええよ』と頭を抱く。熱いものがゆっくりと入ってきて、ますます深く溶け合って、ひとつの生き物になったような心地がした。舌を絡めて、互いの湿った息を吸う。燃え尽きた薪が崩れた気配がして、(とばり)が降りたように暗さが増した」。

 本書「しろがねの葉」は今年1月の第168回直木賞受賞作のため、図書館に予約が殺到、ために今頃漸く手元に届いた次第。物語は、次の言葉で締め括られる、

「もうこの山には誰もいない。谷の家々が朽ち、草葉や木々に呑み込まれていく。無数に穿たれた穴が風に哭く。それでも待っている。指先すら見えない昏い間歩(弊注:坑道)の底から、男たちがわたしの名を呼ぶのを。慈しんだ男たちは皆、あの無慈悲で温かい胎闇(はらやみ)にいる。そこにわたしも還るのだ」。

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20231014日)


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地球が段々虚ろに見えて  [巷のいのち]

地球が段々虚ろに見えて 

 先月79歳を迎えた。それを昔の人は傘寿と言った。その日は、しかし欧米風でも古式にも沿わない我が家では、普段通りに過ぎて行った。この3年半、数えてみれば人様との付き合いが激減して久しい。それをコロナのせいにしていたけれど、最近になって漸く気が付いた、齢を取るとはそういう事なんだと。

 人様との交流が絶えるにつれ、ふと出遭う花鳥虫けらの類いに目が行くようになった。例えば7月の真夏日、足元を這う芋虫に気が付いた。黒い体に赤い縦の線が走り、その両側に赤いトゲ状の物が一杯生えている。スマホに収め、グーグルに問うと褄黒豹紋(つまぐろひょうもん)という答え。調べて驚いた、去年のちょうど今頃、黄花コスモスの蜜にしゃぶり付く綺麗な蝶を撮っていた。それこそ成虫の褄黒豹紋だったのだ。

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 例えば先の9月末、もこもこと肉付きの良いのが這っていた。黒地に黄色の横線をいくつも巻いた芋虫は、グーグルの判定では背筋雀(せすじすずめ)。成虫になった姿をネットで探したら、褐色の翅に黒い縦縞が走る、これもなかなか美形、但しそれは蛾であった。

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 ところで我が半生は酒にまみれ、独り酒に酔い痴れることさえあったけれど、それも絶えて久しく、外食に出ることさえ稀になった。先日は六義園にちいさい秋を探しに行ったその帰り、久し振りにラーメン食わんと立ち寄った月山亭が無くなっていた。おまけに近年では一度だけ独り酒を愉しんだ、もつ焼きの新潟屋に休業の看板が掛かって週が過ぎた。知り人との出会いが絶え、馴染みの店も次から次へと消えて行く。地球が、なんだか段々虚ろに、虚ろに見えてくる。

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20231011日)


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秋立ちぬ [巷のいのち]

秋立ちぬ

 今年立秋は暦の上では88日。その頃はしかしとんでもない真夏日、漸く10月に入って秋の気配を感じ始めた。途端にまたぞろ、「ちいさい秋みつけた」のことが気になって、久し振りに電車に乗って駒込の(りく)()(えん)を訪れた。しかし東京の秋には2カ月も早い今頃、錦秋は影も形も無く、目に付くのはうな垂れた池辺のススキ・・・・と思ったその先のハゼノキの枝先に、ありました、ちいさい秋が。

 サトウハチロー作詞のこの歌が世に出たのは70年近くも前のこと。初めて聴いたのは64年前、中学生の時だった。そして全校生徒の前でそれを独唱した親友は、ちょうど3年前の今頃、永久の旅に出た。ハゼノキは枝先ごと、葉っぱごと、少しずつ少しずつ赤らんで、最後は他の樹の紅葉に交じり合う。今年もだから、何度か逢いに来よう、歌を口ずさみ、友を思い出すために。

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 六義園を出て本郷通りを駅に向かう途中にある町中華「月山亭」で昼飯を食おうと思って寄ると、扉に張り紙がしてあった、「テナント募集」。思わず、心が呟いた、「ブルータス、お前もか」。

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20231010日)


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昨日の敵は、今日の友 [読後感想文]

昨日の敵は今日の友



 『諜報国家ロシア』(保坂三四郎)に教えられ、特に心に残った点を一言で言えば、「昨日の敵は今日の友」。特に強く印象に残ったことを、以下に要約してみたい:


 【アメリカとロシア】


今こそアメリカはロシアと戦うウクライナに大量の武器、弾薬その他の物資を援助しているが、そのアメリカは今を去る80年前、膨大な量の軍事物資をソ連に貸与。このため当時米英ソのテヘラン会談でスターリンが認めている、もしも米国の支援が無かりせば、ソ連はナチスドイツに負けていただろうと。後にフルシチョフが回想録に記している、そのことをスターリンは(国民には言わなかったが)幾度となく打ち明けたと(なお、本書によるとソ連は戦後様々な理由を付けて、これら貸与への返済を拒否したらしい)。・・・・かくの如く当時フランクリン・ルーズベルトとスターリンのソ連は「友」だったが、その後45年にわたる冷戦時代は仇敵同士となり、ソ連崩壊後の30年は縒りを戻していたけれど、今は再び「敵」として相まみえている。


【ロシアと東欧・バルト諸国】


 ソ連とその継承国ロシアは、第2次世界大戦の中の独ソ戦(19416月~19455月)を大祖国戦争と称して、自国を含む欧州をナチスドイツから救ったと自負している。だが、欧州の中の東欧・バルト諸国にとっての戦争は、実はその2年前に始まっていた。というのも後に救済者と称したソ連自らが19398月独ソ不可侵条約を結び、秘密議定書で東欧・バルト諸国の分割を謀り、翌9月には独ソが東西からポーランドに侵攻、ソ連は更にバルト3国、ルーマニア、フィンランドに侵攻したからである。即ち19391941年の2年間、独ソは蜜月関係にあった末、突如、昨日の友が今日の敵になった訳だが、後にコメコンとしてソ連との共同防衛圏に組み込まれた東欧・バルト3国にとってソ連は、ナチスと共謀した侵略者であった。


【ロシアは、ソ連の犠牲者?】


  ソ連崩壊の前年、当時ロシア(共和国)大統領のエリツインはインタビューで、「ロシアは何十年にもわたって『ソ連』の他の共和国を助けてきた結果、自らの国力を使い果たした」と述べた。共和国と共和国の関係も、国対国の関係も、まるでひとり一人の人間関係のようにそれぞれの視座により微妙にも、また極端にも変わるらしい。昨日の友は今日の敵、- 信じたくはないけれど、歴史はそのように物語る。


 長く暑い夏が続いたが、10月に入り急に涼しくなってきた。シルバー人材センター斡旋の学童帰宅パトロール稼業も昨日、久しぶりに再開。酷暑の半年間は一日の歩行が精々二~三千歩だったのが、パトロールの昨日は一万歩、脚が棒になった。写真は、途中で見掛けた今年初めての紅葉(ウルシ)と、たわわに実ったガマズミの赤い実。ガマズミはロシア語でカリンカ。遥かに遠い昔、モスクワのボリショイ劇場で聴いた赤軍合唱団の「カリンカ」が懐かしい。友よ、秋が来たのだ。


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2023104日)


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諜報国家ロシア [読後感想文]

諜報国家ロシア

 ウクライナ戦争が続くこの1年半、同戦争を論ずる本を幾冊も読んだ。その大半はロシアの非を詰る論調だったが、中にはアメリカ又は国際金融資本こそ蔭の仕掛人とする論者もあった。本書の主題はロシアの諜報の歴史だが、最後の第6章をこの戦争に割いており、著者・保坂三四郎の立場は明らかにロシアに批判的である。

 著者は「あとがき」の冒頭で語り始める、「本書は、なによりも自分のために書かれた」と。怪訝に思い先を読むと、若い頃モスクワへ留学、ロシアにかぶれて帰国、その後外務省の仕事でロシアに出張の折、ロシア人と何度も乾杯したこと、そしてその頃はプーチンにも心酔していたことを。だが、そのうち違和感を覚える現象や情報に接し、それまでロシアを通して視ていた視座が徐々に変わってきたと打ち明ける。結果として彼の見立てでは、ロシアはウクライナを数世紀にわたり「兄弟民族」と呼んで併合・同化政策を行ってきたが、その実ウクライナのことをほとんど知らない。逆に、ロシアに対して激しく抵抗し、独立運動を繰り広げてきたウクライナ(人)は、ロシアという国や人々を最も肌身で知っている。

 この本は、しかし今を去る百年以上前に帝政ロシアが滅び、ソ連という赤色帝国が誕生した時に同時に生まれた強大な国家諜報システムが、チェーカー → NKVD(内務人民委員部) → KGB(国家保安委員会)等名称を何度も変えながら、ソ連崩壊後もFSB(ロシア連邦保安庁)として復活し、国家を牛耳って来た様を詳しく弁じるものだけに、僕には過ぎたるレベルだった。著者には申し訳ないが、部分的に読み飛ばすことも余儀なくされた。

 この本に指摘され、初めて気がついた、ソ連が崩壊する6年前ゴルバチョフがペレストロイカを推進し、政治、経済、軍部にも改革の波が及んだが、ひとりKGBのみにはメスが入らなかったことを。そして1991年、ついにソ連が崩壊した時、ソ連から解放されたバルト諸国や東欧で秘密警察が廃止されたにも拘らず、ひとりKGBは生き残ったことを。

 KGBは生き延びた。のみならずKGBの組織で育った人がロシア第2代の大統領に昇りつめ、その政権は実質23年に亘ろうとしている。のみか来年は、更なる再選が起こりそうな気配である。

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2023102日)


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