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再会 [忘れ得ぬ人々]

再会

 知人に、もう10年以上も上野の国立科学博物館でボランティアのガイドをしている(ひと)る。同館案内よう有難指定日時319日)に上野のお山に赴くと、桜ははや七分咲き、久し振りの花見解禁の日曜とあって、樹よりも多い人民の数。彼と会うのは実質2回目、それも久し振りのことだから、互いに顔が判別できるかときょときょとしてたら、彼の方で僕を見つけてくれた。

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 今から2年半前、同じ東京に住み何度も酒を酌み交わしていた中学時代の同級生(中島兼三)が異界に旅立った。学芸会で全校生を前に「ちいさい秋みつけた」を独唱した兼三は、互いに古希を過ぎた頃、僕がフェイスブックに投稿したハゼノキの紅葉の写真を指して、これが「ちいさい秋みつけた」で歌われた秋なんだと、書き込んでくれた。その彼が逝って、築地本願寺の合同墓に入る日、納骨式に臨むと、20人ほどの参列者の中に顔見知りはいなかった。式のあと(とき)に移りてい席同士名乗りった相方上野待ち合った

 あの斎の席で隣人がおもむろに、存じ上げていますと言い出したから驚いた。中学3年の僕が生徒会長だった時(そのこと自体を僕自身は忘れていた)、2年の彼は生徒会の会計係りだったこと、また、運動会の開会式で僕が述べた言葉の中に「健全なる精神は健全なる身体に宿る」があったことも覚えている、と言う(穴があったら入りたかった。)いや、驚きは果てしない。僕の大学時代に彼も東京に下宿していた時期があって、東上線は成増の僕の下宿まで訪ねたことがあり、その時読まされたというのだ、同人雑誌に投稿した僕の短編『ダスビダーニャ』を(そういえば学生時代、瞬間的に文学にかぶれた時期があったことを思い出した。)他界した兼三は血の繋がるまたいとこで、互いの家は村道を挟んで隣同士だったそうだ。

 さて、その彼に導かれ国立科学博物館をぐるっと廻り、予想を超えて多岐にわたる分野とバライアティーに富む展示品の数々に舌を巻いたが、個人的に特に感動を覚えたのは、渋谷駅前の忠犬ハチ公の本物の剥製と、そのすぐ右後ろに第1次南極探検隊の樺太犬ジローの、これまた実物の剥製を見た時だった。それともう一つは、見学者の中に目を輝かせ、食い入るように展示品と説明のパネルに見入る子供がいること。彼によれば、どう見ても幼稚園児のような見学者の中には、時として彼のような案内役が敵わぬほどの知識を備えた子供がいると言う。言われてよく見れば、小さな子供が何か専門用語のようなのを口走っていた。きっとこんな所には、テレビでしか見ない『博士ちゃん』がうようよいるんだろう。

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 博物館を出て昼下がりの、花見客で賑わう上野のお山を下りて、不忍池の近くの中華料理店に腰を下ろした。シュウマイ、餃子など摘まみながらビールで乾杯。この二人、歳の差こそ僅かでも、天は記憶力に甚大な格差を与えたもうた。ために時として意図せぬ失礼をしているが、赦せ、友よ。・・・・古友と飲む人生二度目の麦酒は五臓六腑に染みわたる。大瓶が幾本も空いたのは、束の間のことだった。

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 そして42日の今日フェイスブックからメッセージが届いた、「今日はKanezo Nakajimaさんの誕生日です。お祝いのメッセージを送ろう!」有難う。ただ、霊界通信のアドレスが僕には分からないのだ。

202342日)


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