旅の芸人 [巷のいのち]
旅の芸人
今は亡きブラート・オクジャワ(1924~1997年)はロシアの吟遊詩人、今流のシンガーソングライターだった。自ら作詞・作曲した歌をギターを抱えて弾き語る。かって一時期ロシアに住み、長年にわたってロシアとの仕事に携わっていたにも拘らず、この人のことは何にも知らなんだ。誰かに勧められ、YouTubeを観たのは僅か2年ほど前。驚いた。こんなにも静かに切々と心に染み入る歌は聞いたことがなかった。
オクジャワは、僕から見れば親の世代。第2次世界大戦の独ソ戦に出征し負傷、退役している。彼が話すロシア語ほど聞き取りやすいものはない。きっとそれは彼がロシア人ではなくて、ジョージア人の父とアルメニア人の母の間に生まれたせいだろう。YouTubeで彼が出演するのはいつも決まって小規模なステージ。おずおずと出て来た彼が聴衆に語り掛ける、「このホールは広くないので家庭的な雰囲気があります。願わくば、これがコンサートではなく、皆様との“出会い”でありますように」。
オクジャワが生まれたのはソ連誕生の直後、子供の頃はスターリンによる大粛清が吹き荒れ、両親ともに逮捕され、強制収容所に送られた挙句、父親は銃殺刑に処せられている。彼の歌はいずれも哀調を帯びたものが多いが、静かな夜に焼酎の湯割りを舐め舐め聴く歌の一つに『旅の芸人』がある。
《朝まだき 旅の芸人がトランペットに口付け音色を測る どうもおかしい おい目を覚まして もっと身を寄せてくれないか ・・・・》
(208) Булат Окуджава - Заезжий Музыкант - YouTube
いつもの通い慣れた散歩道、その墨田川畔の中ほどにベンチが四つ並んでいる。その一つにいつも座って、ペットボトルのお茶を啜り、川面を眺める。それが昼前頃の時間なら、男が一人ベンチに座ってトランペットを吹いている。それはこの2年半変わらぬ景色だが、時々は錯覚しそうになる、時と空間を超えて『旅の芸人』が現われたかと。
(2022年10月15日)
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