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「シベリア強制労働収容所黙示録」(空き缶と靴下) [読後感想文]

「シベリア強制労働収容所黙示録」(空き缶と靴下)

 

 シベリアのラーゲリで最長の11年間を過ごした福原士官の物語(シベリア強制労働収容所黙示録)を読みながら、ついつい僕は先に読んだ竹原中佐の「抑留記」の体験と比較していた。後者の場合、糞尿譚が圧倒的に多かったけれど、それは多分もともとが人に読ませる目的で書かれたものではなかったからと思われる。今度の本では13頁で僅か「用便しても紙で後始末しないソ連人」と言及されているのみである。「抑留記」の方では、竹原中佐自身は、コートの内張を少しづつ切り取って使ったとあった。いずれにしても当時のソ連には(少なくともシベリアには)トイレットペーパーそのものが無かったのだ。そこで思い出したのが、その約30年後に僕が駐在したソ連のことだ。その頃、紙はあったには有ったが見たこともない粗悪品で、それとて無いトイレが殆ど、たとえ有ってもつるつると滑るよな紙だった。そんなソ連、ロシアで人に会うときは、必ず手と手を固く握り合ったものだった。

 この本の中には、「抑留記」に無かったエピソードが二つある。一つは鮭の空き缶(273頁)、「ソ連では、鮭の缶詰など、国民は食べられない。したがって、空缶があるはずはない。みんな満州で戦闘中に食べた鮭缶だ。なぜか、私たちは空缶を袋に入れたり、腰にぶら下げたりして入ソした。シベリアには食器がないのを予感したわけでもないだろうが、この空缶は、食器にもなれば、物入れにもなって、ずいぶん重宝したものだ」。

 エピソードの二つ目は「靴下」(47頁)、「日本兵は万年筆や時計、薬品から靴下までカンボーイ(警護兵)に奪われた。ソ連兵は靴下を知らなかった。靴下は布切れだった。『ハラショウ。日本には、かくも調法な物があったのか。日本は文明国である』。ひどく感心し、『戦争は下手だが、文明は世界一』という妙な称号をもらった。靴下なんか、どんな国でも履いている、といおうと思ったがやめた。(中略)それからというもの、布切れならなんでも背嚢に突っ込んで、靴下がわりの予備を蓄えた」。以上二つのエピソードは、戦後のソ連に如何に物資が欠乏していたかを物語る。その30年後に僕がモスクワへ赴任した頃さえ、日本人はトイレットペーパーを必ず携行したものだった。

 それもこれもすべては20世紀のことだった。最後の10年間でソ連崩壊に伴い新生ロシアが誕生。社会主義から資本主義への苦難の道を経て21世紀に到り、更に22年。と今度は自らの選択でかって血を分けた兄弟国に侵攻。何ともはや忙しい国である。

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 1カ月以上前、母の一周忌でふる里の飛騨に帰った日は、常にない数の雪虫が舞うのを見た。それかあらぬか今ごろ北の地は豪雪で、わがふる里も雪に襲われたと聞く。東京も寒気が厳しくなり、アパートの庭の桜木も紅葉をすっかりうち落として、裸の枝に留まる鳩さえが精一杯羽根を膨らませながら、寒そうに首を竦めている。

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20221221日)


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