ちいさい秋、ながい秋 [巷のいのち]
ちいさい秋、長い秋
いま静かな、余りにも静かな時間が流れている。歳を取るとは、こういうことなのか?年を追うごとに新しい人との出会いは無くなり、古い知り合いとの縁も段々と薄くなる。電話は、オレオレ詐欺めいたものしか鳴らず、手紙も来ない。一時は処理に大わらわだったメールさえ、今じゃ稀に届くくらいだ
2020年3月末に準公務員の仕事を辞め、その一週間後の4月7日に新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発せられてからは、ひたすらアパートに閉じ籠り、まるで座敷牢のような孤独な暮らしが始まった。その頃からである、フェイスブックへの投稿が急に増え、それまで触れた事もないブログにまで手を出していた。書くのは、散歩の折に出遭う花鳥や虫、それに読んだ本の感想など。
どうしてそうなったのかは、自分にも分からない。絶え果てた人との交流をSNSの世界に求めているのか、それとも、自分の生きざまを自分自身に問うているのか?いつの間にか、日に何回もフェイスブックを開く癖がつき、「いいね」のそばに友人知人の名前を見付けてはホッとしたり、あいつ今頃どうしてるかななどと思いを巡らすときもある。
座敷牢からは時々抜け出すけれど、行先は、いつもの散歩道の他には電車でせいぜい数駅先の庭園が精一杯。この秋は地下鉄後楽園駅そばの礫川公園を三度も訪れた。87年も前サトウハチローが詠った「ちいさい秋みつけた」のハゼノキを見るためだった。最初に見た10月の末は一部がもう橙色に色付いていたけれど、全身が紅く染まったのは11月も下旬、そして三度目に訪れた12月の15日は、あらかた葉を打ち落とした中になお数葉が梢の先で入日色に輝いていた。色付き始めてから数えれば既に1カ月半・・・ちいさい秋は、ながい秋だった。
(2022年12月25日)
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