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飛騨のかたりべ ぬい女物語 [読後感想文]

飛騨のかたりべ ぬい女物語

 

 生まれたのが山深い飛騨地方でも、同じ飛騨の人が書いたものに触れる機会は皆無だった。それがふとしたきっかけで『下々(げげ)の女』(江夏美好)に廻り合い、泥臭さに心を掴まれたのが喜寿の齢。そしてその2年後にドイツ文学者の弟に紹介されたのが、この『ぬい女物語』(小鷹(おだか)ふさ)である。両者にはなぜか共通点が多い。著者はいずれも我が母と同じ大正生まれの女性で、出版されたのが今からは52年前の同じ昭和46年(1971年)。『下々の女』の主人公ちなのモデルも、今度の語り部ぬいもまた著者身内の年上の女性(ちなのモデルは著者の実の母、一方ぬいは著者ふさが嫁いだ先の義祖母)。

 物語の最初の方で、益田という懐かしい地名に出遭った,「ぬいは高山へ、分水嶺〈宮峠〉から南の益田から嫁入りして来た」。僕が生まれたのが飛騨の益田郡、益田郡はしかしその後の市町村合併で下呂市に編入され今に至る。ぬいは、僕と同じ益田郡だったのだ。

 著者ふさは1912年生まれだから僕の母より8歳年上、なのに文中時々心掴まれるほど新鮮な表現に出遭った。例えば、「季節を食べるとでもいうか、春は鱒寿司、夏は茄子のいぎ焼、秋はしめじののっぺ汁、冬は塩鮭の漬け鮨を大変喜んだ。すべて酒好きの亡夫の思い出を食べているように思われるのであった」。昔子供の頃は貧しくて、鱒も何も無かったが、それでも何かこう専ら季節を食べていた(季節しか食う物が無かった)ことを思い出す。思い出を食べる、という表現も、少なくとも僕にとっては初めてのことだった。

 飛騨を舞台の二つの作品が決定的に違うのは、その形式である。『下々の女』が重厚な小説なら、この『ぬい女物語』はぬいが語る軽妙な実話と昔話。両者に通底するのは、山国に生きた女性たちの苦難、哀しさ、愛しさ、喜びが溶け合った飛騨の味噌汁の味わいに違いない。

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20231127日)


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