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僕の内なる太平洋戦争(その2) [読後感想文]

僕の内なる太平洋戦争(その2)

 生まれたのが終戦前年の昭和19年(1944年)だから戦中生まれには違いないが、当時赤子の僕には戦争の記憶は一切無い。まして生まれた場所は累々山重なる谷あいの寒村、空襲警報も縁の無い世界だった。以来78年生きたのに、先の大戦のイメージは群盲像を撫でるが如く頼りなく、ただ国を挙げて血迷った末、身の程知らぬ戦争に踏み込んだ、というもの。だから、今度読んだ『歪められた真実・昭和の大戦』(著者は軍事評論家の井上和彦)には驚いた。なにしろ、大東亜戦争の肯定的側面を見詰め直しているのだから。

《日本の戦争目的》

日本の戦争目的は二つ。一つは日本自身の自衛、今一つはアジアの植民地からの解放。一つ目の目的に対する僕の内なる疑惑は、GHQマッカーサー長官自身が帰任後1951年に行った議会証言(あの戦争は主として日本の安全保障のためだった)を知った時点で、僕の中では氷解している。そこで二つ目の目的(アジアの解放)だが、本書を読みながら改めて振り返り見ると、確かにアジアのすべての(それどころか全世界の)植民地が独立を果たしている。するってえと、負けたとはいえ、日本の戦争が(少なくとも)大きなきっかけになったと言っても、言い過ぎではないように思えてきた。

《国別概要》

    タイ: 当時殆どのアジアが植民地だった時代に希少な独立国だったタイ。そのタイが当時日本との間で「日泰攻守同盟条約」を締結し、大東亜戦争勃発後の19421月に米英に対し宣戦布告していたとは、全く知らなんだ。

    インド: 当時インドからマレー半島までの広大な地域は英領だったので、日本がマレー半島に上陸した時の敵は英軍とインド兵の混成部隊だった。この時多くのインド兵が日本側の捕虜となるが、日本は彼らに独立を勧め、結果5万人が日本の友軍となる。彼らはやがてチャンドラ・ボース指揮のもとインドを目指し、これが後に1948年のインドの独立に繋がる。

    ベトナム: 日本の敗戦時、日本に帰らずベトナムに留まって、宗主国フランスとの独立戦争に協力した日本兵は約600名。彼らは士官学校を設けてベトナム人を指導・教育、ともに戦い、1954年独立を果たす。

    インドネシア: 日本の敗戦時に帰国を選ばず現地に残留した者2000人。彼らは宗主国オランダとの独立戦争に加わり、うち1000人が戦死。4年半の戦いを経て1949年独立。  

インドネシアのくだりを読みながら突然のように思い出した。大学を出て商社に入った2年目、ジャワ島に2年間の長期出張を命じられ、赴任時に立ち寄ったジャカルタ事務所に日本人駐在員とインドネシア人に混じって一人中年の、現地雇用の日本人がいた。あとで誰かが教えてくれた、元日本兵で名前は樋口さん。濃い眉の、がっしりした体格の人だった。言葉を交わしたかどうかは記憶がない。たった一人だけの、僕の中の日本兵である。

202393日)

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