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僕の内なる太平洋戦争(山本五十六) [読後感想文]

僕の内なる太平洋戦争(山本五十六)

 『日米開戦 陸軍の勝算』(林 千勝)の感想を続けたい。長い間、僕のイメージの中の大日本帝国海軍はいつも格好良かった。若い頃カラオケで歌った軍歌は「ラバウル小唄」や「若鷲の歌」、そして山本五十六といえば、そりゃもう軍神みたいなもの。「トラ・トラ・トラ!」という映画があって、今じゃ観たかどうかの記憶さえ飛んでいるが、ただ山村 聰扮する凛々しくも聡明そうな軍服姿が心に焼き付いている。だが、その海軍が、それを率いる山本司令長官が真珠湾に殴り込みをかけ、眠れる獅子でいたかったアメリカの目を覚ましてしまったのだった。そんなきっかけを何故わざわざ作ったのか、長い間米英側には不思議だったようで、戦後A級戦犯として巣鴨に拘置中の海軍トップ・長野修身(おさみ)・軍令部総長に対し(山本五十六は1943年太平洋で戦死)、「なぜ真珠湾を攻撃したのか?」と尋ねている。永野は、真珠湾は山本の職(艦隊司令長官)を賭した不退転の決意による提案であったためだと説明した。

 真珠湾に先立つこと23日前の19411115日、大本営政府に於いて「対米英蘭蒋戦争」の開始が正式決定されていたが、これは米英蘭による対日全面禁輸に苦しむ日本が『自存自衛』を目的に(あわよくばアジアの植民地の独立も目指し)決定した国家方針であった。そして真珠湾攻撃の4日後ではあるが、19411214日、日本政府はこの戦争の正式名称を『大東亜戦争』とすることに閣議決定、そこには東アジアの解放の意が籠められていた。 

 さて、陸軍は米国との対決は極力避け、南進と東南アジアからインドへの進出を意図、勝てないまでも負けない合理的な戦争を目指した。ところが山本率いる海軍は、真珠湾の後も矛先を太平洋の米国海軍に向け続け、開戦半年後の19426月にはミッドウエー海戦で敗北、19428月~19432月のガダルカナル島を巡る戦いで大敗を喫し、その直後には山本五十六の搭乗機がガダルカナルの北、ブーゲンビリア島上空で撃墜された。

 写真は、ネット上で見付けた「トラ・トラ・トラ!」の山本を演ずる山村 聰の写真である。さて、凛々しく見えるかな?

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2023926日)


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