もう一つの侵攻 [読後感想文]
もう一つの侵攻
先日図書館から『ソ連が満州に侵攻した夏(半藤一利)』を借り出し、いざ読もうとして、何か引っ掛かるものを感じたので、読書日記を覗くと、ゲッ、2002年3月2日読了とあるではないか。特記事項がひとつ、それはド演歌『岸壁の母』の老母が実在していたこと、彼女は東京に住む「瑞野いせ」で、夫も娘も失い、召集を受け満州に行った一人息子を迎えるために、復員船が着くたび舞鶴港に足を運んだ。だが老母の一人息子の新二軍曹は、日ソ中立条約を破って満州に侵攻して来たソ連軍と激戦の末に玉砕した猪俣大隊の一員だった。
パラパラ捲って中を検める。だが、不思議なのは、岸壁の母のことも含めどれもこれもほとんど読んだ記憶がないことだった。二度読むのも癪だがと、敢えて虚心を心掛けながら再読しかけた途端、忽ちそこに溢れる情報に心を掴まれてしまった。それは多分、現在進行中のもう一つの(プーチンの)侵攻とどこか重なって見えることと、最近になって初めて知った、身近な親戚のソ満国境からの生還劇のことが頭の片隅にあったからに違いない。
特に興味を惹かされた点をいくつか挙げてみたい。その一、先の大戦末期、満州では関東軍による「根こそぎ動員」により18~45歳の男子全員が召集された結果、日本人居留民の家族は老人と女子供だけが残された。一方、今のウクライナでは兵役対象たり得る18~50歳の男子に出国禁止令が出された結果、国外に脱出できるのは老人と女子供のみ。
その二、77年前ソ連は日ソ不可侵条約(と僕は思っていたが、正しくは中立条約)を破って突然満州等に侵攻して来た。不勉強な自分は両者の区別さえ知らなかったが、当時日本が提案した不可侵条約はソ連に拒否され、結果中立条約になった経緯があったという。
その三、ポツダム会談時のトルーマン米大統領の回想録に「ロシア人にわかるのは力だけである」とある、即ち、「我々は対日戦争にロシアが参戦することを熱望していたが、ポツダムでの経験から、日本の統治にはロシアを一切関与させまいとの決心を固めた。ドイツ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド問題でのロシア相手の経験は余りにも大変だったので、危険は冒したくなかった。・・・・ロシア人にわかるのは力だけである。(中略)私はロシアを日本占領に参加させるべきではないことを知っていた」。
その四、日本人50万人以上の行き先が(シベリア送りではなく)日本だと、「案内役のソ連の警備兵もそう信じこんで、日本とはどんな国なのか、自分も一度行ってみたいと思っていた、などと嬉しそうに話しかける。日本兵はなおさらのことで、これで故国へ帰れるかと、帰りたい一心で、長い道を文句もいわず歩いていく」。僕はまた、末端のソ連兵も本当の行き先を知りながら、「ダモイ、東京!」と日本人を騙しまくった、と思い込んでいたが、言われてみて成程と納得。敵を騙すには先ず味方から・・・そうに違いない。
(2023年1月12日)