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血を追って、早春 [読後感想文]

血を追って、早春

 

 つい先月何気なく読んで、いたく感動したエッセイ『小石川の家』の著者・青木 玉が明治の文豪・幸田露伴の孫で、幸田 文(1990年没)の娘と知り、ふと血筋を遡ってみようと思い、図書館から露伴の『五重塔』と文のエッセイ集『台所のおと みそっかす』を借り出した。

 先ずは祖父の露伴を開いて文字を追う、「木理(もくめ)(うるわ)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫(あかがし)を用ひたる岩畳(がんじょう)作りの長火鉢に対ひて話し(がたき)もなく唯一人、・・・」。見知らぬ文字に出遭うたびスマホに問う。槻は欅の古語、岩畳は頑丈・・・それはまあいいのだが、文章の息がやたら長い。書き出しの文章が終止符で止まるのは2頁目。次もその次も文章が1頁には収まらない。んで、ものの数頁で先へ進むのを断念。『五重塔』は、昭和生まれの老人には余りに高過ぎた。

 さて次に差し向ったのは、青木 玉の母・幸田 文だった。祖父から1代下ると、明治生まれでも文章はさすがに歯切れがよく、さしたる抵抗感もなくエッセイ12編を味わった。この人も豊饒な語彙の持ち主なのか、それとも読む側の勉強不足のせいか、度々スマホ先生のお世話になった。例えばそれは、「庖丁の人間の心ゆかせ」、「とどろとどろ」、「寝るぞ根太、頼むぞ垂木」、等々。一族の血は、よほど感性豊かであるらしい。特に事象の分析は細やかで、時には読み手がついて行けない程である。そんな中で出遭った文章の一つ、「佐吉をおもえばあき(注:主人公)の心はひっそりとひそまり、全身に愛の重量と、静寂を感じた」—この辺りが、凡人には何とかついて行けるぎりぎりのところだった。

 この本『台所のおと みそっかす』の最期に『記憶の中の幸田 文』という一文があって、書き手は青木奈緒とあった。えっと思ったら、やっぱり青木 玉(94歳)の娘(60歳)。スマホに訊くと、エッセイストとの答え。露伴からは曽孫に当たる。我知らず、図書館に予約を入れていた。書名は、『うさぎの聞き耳』(青木奈緒)と言う。

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2024321日)


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小石川の家(青木 玉) [読後感想文]

小石川の家(青木 玉)

 

 手元の図書館の本が偶々尽きたので、「小石川の家」に手を出した。買った筈もないのに何故手元にあるかさえ不明な本。今はや昔の4年前に最後の職場を首になり、断捨離のつもりで本棚を捨て、本も大半を捨てた筈が残ってた本。そもそも作者の青木 玉とは誰なんだ?調べてみると、読んだことはないが「五重塔」で有名な明治の文豪・幸田露伴の孫娘。ちゅうことは、これも物書きで名の知れた幸田 (あや)の子供なのか。

暇つぶし半分で読み始めると、舞台は文京区小石川にある露伴邸、そこに住む老いた文豪(祖父)と出戻りの母・文との3人生活を孫娘の視線で描くエッセイだった。威張り腐る祖父にかしずく母、祖父に怒られしょげる自分を慰める母・・・・そんな何気ない日常の展開を読みながら、つい思う。人生傘寿のさなか、他人様の日常をこんな風にただ覗き見て何か意味があるのだろうか?おまけにこんな齢にもなって、初めて目にする漢字の多いこと: 三途の川の奪衣婆(だつえば)耆婆(ぎば)早来迎(はやらいごう)、・・・・。つんのめるように都度立ち止まってスマホに訊くが、スマホなど想像すらしなかった若い頃なら読み飛ばすしかなかっただろう。

戸惑いながらも読み進むうち、敗色が深まる東京空襲下の小石川の出来事にいつしか引き摺り込まれていたから不思議である。我が齢のことなどすっかり忘れて読み耽っていた。(可愛くて堪らなかった筈の孫娘をいつも叱責していた)露伴が肺炎で亡くなったのは終戦後2年目、評釈「芭蕉七部集」を仕上げて4カ月目、79歳のことだった(げつ、今のオイラの齢でも立派な仕事をしたもんだ)。

エッセイはなお心を掴んだまま離さない。大団円はその更に43年後に母・文が逝った時。葬儀を取り仕切るのは、喪主の玉。一部始終が感動的に語られる。その中に町屋の斎場の火葬場の場面が出て来て、玉は語る、「小一時間で母はすっかりこの世の苦行から解き放たれた姿になって、小さな壺を充たし桐の箱に納まって袈裟のような房付きの袋を着て私の手に抱えられ帰途についた」。

読み終えて思った、久し振りに良い文章に出遭った、理屈は言うまい、良いものは、ただ良いのだ、と。

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202439日)


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ちいさな雪だるま [巷のいのち]

ちいさな雪だるま

 

 シルバー人材センターの斡旋で冬の夕方、学童を近所の小学校から自宅付近まで先導するパトロール稼業をはじめて三つ目の冬が過ぎた。過ぎた、と言うのは、先月2月末をもって晩が暗い冬場専用のパトロールの需要が無くなったからである。

この冬のパトロールは格別に辛かった。そう思うのは、去年の、そして一昨年の記憶がほとんど飛んでいるせいかもしれないが、何だか冬の寒さが年々身に応える。今冬は記憶が正しければ雨降りが多く、おまけに風がやたらに強かった。しかし高齢のパトロールがいかに怯もうと、先導される被パトロールの学童は風の子そのもの、篠突く雨に傘さして、強風など物ともせずにワイワイガヤガヤと、謎々やクイズにと忙しい。

この冬、初雪が降った26日の学童のはしゃぎ方こそ凄かった。道々、積もる雪を掴みあげ互いに雪玉を投げ合ってキャーキャー喧しいことこの上も無い。極力介入を控えるパトロールも、時には声を荒げ制止に入らざるを得なかった。ある学童が道すがら拾った雪を掌で固め自宅マンションの玄関口に置いたのに、咄嗟にスマホを向けた。それは、ちいさな小さな雪ダルマだった。

この先パトロールを4月ひと月だけ再開するのは、通学に不慣れな一年生が入ってくるためで、次の冬は10月から。そのときなお健康で且つ、シルバーセンターから肩をたたかれない限り、再び学童たちの先に立って歩きたいと思う今日この頃である。

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202432日)


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真・保守論 國體の神髄とは何か(馬渕睦夫) [読後感想文]

真・保守論 國體の神髄とは何か(馬渕睦夫)

 

 馬渕睦夫のことなど、去年の今頃は未だまったく知らなんだ。半年ほど前、妙な人がいることに気が付いた。世のマスコミとは違ってトランプもと大統領やプーチンを礼賛し、バイデン大統領を操るのは国際金融資本のディープ・ステートだと警告して止まない、陰謀論者と噂される人だった。その人の著作を「ほんまかいな?」と眉に唾付けつつ読んで来たが、数えたら今度のが7冊目。

 そもそもタイトルからして妖しかったのに、中身の異様さに戸惑ったのは読み進めた途中からだった。天孫降臨?君民共治?惟神(かんながら)の道?神仏習合?エタセトラ・・・。おまけにそこかしこで引用される文章が、「國體の本義(1937年)」はともかく、「古事記」、「日本書紀」、「万葉集」等々、難し過ぎてそのままでは意味がどうにも把握できない。悔しいので、なんとか一読は終えたものの、昭和19年戦中生まれの典型的なGHQ世代には過ぎたる本であった。

 それにしても、もと外交官(ウクライナ、イスラエル各大使)、防衛大教授等多くの経歴に富むこの人が陰謀論者にとどまらず、日本の國體と天皇制度を絶賛する、保守本流の人とは意外だった(いや、考えたらそれが自然か)。神国ニッポンの惟神の道を説く本に出合ったのは79歳にして初めてのこと、残された時間が分からぬまま、扉口でただ途方に暮れている。

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202431日)


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中東問題再考 [読後感想文]

中東問題再考(飯山 (あかり)

 

 中東のことなんぞ我関せずと思い込んで78年を生きてきたら、ウクライナ戦争の戦塵なおのぼる昨年107日、今度はパレスチナのガザでドンパチが始まり気になって仕方がない。今年の正月、初めて手を出した関連本が『ハマス・パレスチナ・イスラエル(飯山 陽)』、次に読んだのが飯山がボロクソに貶していた高橋和夫・放送大名誉教授の『なるほどそうだったのか、パレスチナとイスラエル』(途中で何が何だかこんぐらかって来てしまい、途中放棄)。そして今度の3冊目が『中東問題再考』、著者は再び飯山 陽(イスラム学者)である。

 前にも触れたようにこの人の主張は優れて旗幟鮮明で分かり易い。中東世界をイスラム原理主義を標榜しテロリストを支援する国(アフガニスタン、イラン等)と欧米のデモクラシーの価値観との共存を目指す国(サウジ、アラブ首長国連邦、バーレーン等)に分け、前者は己が国民をむしろ貧困化、難民化させているとして、日本が組するべきグループは唯一の軍事協力国(米国)を含む欧米側しかあり得ないと主張する。ところが残念なことに、日本のマスコミと学者等専門家グループは、反米国家のイラン、アフガンや、彼らが支援するテロリスト・グループ(タリバン、ヒズボラ、ハマス、パレスチナ自治政府等)を擁護する記事を書いて、日本の大衆をミスリードしているとして慨嘆頻り。のみか、文中の至る所で社名、記者名、学者名等を書き連ね、こんな事を言った、あんなことを言ったと慨嘆する。高橋和夫はともかく、もと都知事の舛添要一も池上 彰も容赦しない。こんなに個人名を連発して大丈夫かなと心配するほど、読者には痛快だった。

 いやあ、イラン、アフガニスタンをはじめ、トルコ、シリアに至るまで幅広く、面白く勉強させて頂いた。しかはあれ問題は、習うそばから忘れゆく我が記憶装置。どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ。

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2024223日)


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下天の夢 [忘れ得ぬ人々]

下天の夢

 

 織田信長が舞い謡った敦盛(あつもり)の一節は、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり一度生を得て、滅せぬもののあるべきか」。だが、昨日219日真昼どき、新宿住友ビル47階の東京住友クラブに座った6人にとっても、下天はまるで夢幻のようなもの。知り合ったのは大学に入って最初のロシア語の教室。以来60年の歳月が経っていた。

 ともにロシア語を学んだとはいえ、6人を待っていたのは様々な下天。商社に入ってロシア貿易に(いそ)しむ者、航空機に乗って客室の世話を焼く者、或いは高校の教師になって生徒に英語を指導する者・・・。針路も別なら、待っていた幸せも不幸もまた千差万別、孫の成長に目を細める者がいる一方、突然の逆縁に見舞われ、或いは生涯の伴侶を失う者も・・・。

 この6人、コロナもあって滅多に会わなくなっていたのに、どうしたことだろう、別れ際、次はこの同じ場所で5月に会おうと誰かが言い出したら、全員が頷いた。時間が、なぜか加速度を増したようである。

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2024220日)


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ふる里便り [忘れ得ぬ人々]

ふる里便り

 

 正月明けに他界した小学校時代の恩師のことから、ふとふる里関連ネット情報を探すうち、「おくやみ情報ひだ」なるものが目に付き、初めて閲覧。と、年末年始の僅かな間に恩師以外にも知り人が3人旅立っていたことを知らされた。一人は熊崎亮太郎(97歳)、同じ村で小さな食料品店を営み、よく僕の実家にもオート三輪で配達に来ていたのを見掛けた親父だ。屋号は「いずみや」。通りに面したその屋の2階に、小学校の教員だった母が下宿していて、仕事帰りに通り掛かった郵便局員の父が2階の様子に気を取られた挙句、路傍の郵便ポストに激突したと、親戚の誰かに聞かされた(伝説が事実だったかは、本人たちには確認しなかった)。

 あとの二人は中学時代の同級生で、女性の進藤 (こう)79歳)と谷川教右衛門(きょうえもん)79歳)。前者(写真の女生徒)とは、思えば卒業以来一度としてまみえることがなかった。在学中に一度でも言葉を交わしたことがあったかどうかさえ覚えていないが、ただ写真を見ると3年を一緒に学んだという懐かしさが胸を衝く。一方、教右衛門(集合写真の後列左端。一人おいて僕)には卒業後一度だけ会ったことがある。頃はおそらく20歳前後、山中の鄙びた部落に住む彼の家に泊ったはいいが、彼とその兄に(初めての酒を?)無理強いされた。途中兄が僕を羽交い絞めにして、教右衛門がどんぶり酒を僕の口に注いだような記憶がぼんやり残っている。眉の濃い、まるで昔の侍みたいな男っぽい奴だったのに、恩師のあと1カ月足らずで居なくなっていた。

 僕の地球はまたぞろぐんと小さくなった。この文章は、その目に触れるであろう、五指に満たない同級生たちに捧げたい。

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2024214日)


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恩師の宿(完) [忘れ得ぬ人々]

恩師の宿(完)

 

 正月が明けて間もない頃、ふる里の村に住む小学校の同級生から電話があって、5年~6年生の時の担任だった髙橋 勇 先生(92歳)が亡くなったことを知った。僕にとって忘れられないというか、僕の人生を10代で一変させた先生だった。この人に出会わなければ僕は多分中学か高校を出て就職、家の後を継いだ今頃は山仕事か野良作業に(いそ)しんでいたと思う。商社やロシアとは異質な世界に住み、交友関係もガラリ変わっていたはずである。以前の投稿(2021717日『恩師の宿』)でも触れたように、小学生時代の僕はとにかく勉強が出来なくて、通信簿は3以下がほとんど。ところが5年になったら大学を出たばかりの髙橋先生が担任として登場し、ある日のこと、何か本を読んでその感想文を書いて出せと言う。その時自ら選んだのは図書室の偉人伝の確か『石川啄木』。読んだかどうかも定かでないが、ただ巻末にあった後書きのようなものをそのまま引き写して提出した。

 後日の授業中、先生が何かを喋っているが、いつものように我は関せず、空想の世界に浸っていたところ、先生の声の中にいきなり僕の名前が出て来たのではっとした。なんと僕の読後感想文をべた褒めし、これは凄い、小学生にこんな文章が書けるなんて思いもよらなんだ、このまま行くと末は芥川賞か直木賞か?・・・・ひとに誉められたのは初めてで、恥ずかしかったけれど、それ以上に嬉しかった。

 それからである。図書室の偉人伝を次から次へと読み始め、学年が進むと国木田独歩やら夏目漱石にも手を出していた。すると通信簿の評価がどんどん良くなり、殆どの科目が最高点の5になって、卒業式が近付いた頃髙橋先生に呼ばれた、「卒業式には君が答辞を読め、書き方を指導するから今度家に来い」。それで訪ねて行った先が、隣町の “さくらや”、木曽川源流の益田川に臨む温泉旅館、先生はその旅館の跡継ぎ息子だった。

 “さくらや”に初めて投宿したのはその60余年後、ふる里の特養ホームに住む母を訪ねる前日のことだった。主人は、とっくの昔に教師を辞めていたかっての勇先生、但し“さくらや旅館”の看板が“国民宿舎さくらや”になっていた。このとき先生が80代なら生徒は70代。60年を超す歳月は互いの人相も声色も変えていた。

 後年、コロナが流行り始めると母への面会が不可能になったが、まる2年が経過した頃、15分に限り面会可との知らせを受けたので、ふる里に向かい、再び投宿したのが同じ恩師の宿だった(2021714日)。当日はコロナのため他の宿泊客はゼロ、ために大広間での夕食は、畏れ多くも恩師(90歳)と奥方(89歳)を前にして戴きながら、奥方に運んで頂いた燗酒を、時には師弟で戴くという、勿体ないほどの時間であった。

 明くる朝のバスで村に入り、半時間村道を登って母に会った。掛け替えのない15分だった。101歳で母が逝ったのは、その5カ月後。・・・・そして僕の人生の方向を大きく変えた恩師の旅立ちは、その2年後のことだった。

白黒写真は、1957年小学校卒業記念写真(恩師は右中ほど、僕は後列左端)、カラーは2021715日、恩師ご夫妻と。

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2024211日)


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パレスチナとイスラエル(なるほどそうだったのか) [読後感想文]

パレスチナとイスラエル(なるほどそうだったのか)


 


 パレスチナとイスラエルのことが気になって、人生二冊目の関連本に手を出した。一冊目に読んだ飯山(あかり)がボロクソに貶していたうちの一人高橋和夫(国際政治学者)が著したばかりの「パレスチナとイスラエル(なるほどそうだったのか)」である。話しは1948年イスラエルの建国とパレスチナ難民の発生に始まり、時系列を追って両者の関係が推移して行く。この分では読み終える頃、自分はきっとあの辺りの歴史に通暁して、日々のニュースに出遭っても、その本質を即座に見抜くかも知れないなあとほくそ笑む。ところがそのうち、どこかで聞いたような言葉に襲われる、?アラビアのローレンス、アラファト、PLO、ラビン、インティファーダ、クリントン、モニカ・ルインスキー、アルジャジーラ、ETCETC


 のみか話しは先に進み、イスラエルとパレスチナの、色んな国との関係が解き明かされる、相手はエジプト、ヨルダン、レバノン、シリア、イラク、イラン、ノルウエー、アメリカ・・・まるで迷宮に入ったみたい。そしてついには己から本を閉じていた。7割以上を読みながらギブアップしたのは初めてのこと。「なるほどそうだったのか」と真逆の結果になったのは、著者のせいではなく、ひとえに我が老齢化のせいだろう。


 なのに、微かにつぶやく己の声が恥ずかしい、君の読後感を聞かせてよ。


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202424日)


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最後の慎太郎節(その2) [読後感想文]

最後の慎太郎節(その2)

 

 「『私』という男の生涯(石原慎太郎)」を読んだ感想は前稿に記した通りだが、あと2点、特に印象に残ったことを紹介したい。

(1)   日本はアメリカの傘により守られているか?

これに関連し、著者は二つの事例を挙げている:

⓵(沖縄返還交渉時のことだから半世紀も前のことながら)訪米時著者は米国の核兵器戦略基地(ノースアメリカン・エアー・ディフェンス)を日本人として初めて視察する機会あり、その際先方の責任者が、基地は北米とカナダの一部をカバー云々と言うので、えっ、日本は入っていないの?と訊き返したら、「当り前だろう、日本は余りに遠すぎて防御も反撃も対象にできるはずがない。不安なら何故自分で自分を守る努力をしないのだ。その能力は十分にあるはずだ」と逆に諭された。アメリカの核による庇護を盲信していた石原には大きな衝撃だった。

②(田中角栄は、金権政治の代表者ではあったが、日本の自主政治を貫こうとしていた点、石原は田中を評価、そして語る)、現代という歴史を生み出した角さんという天才が、この国の実質支配者だったアメリカによって葬られ、政治家として否定されるのは歴史への改竄に他なるまい。キッシンジャーは陰で彼のことをデインジャラスジャップと呼んでいたそうだが、自らを非難する者を敵視するアメリカの傲岸を看過するわけにいくはずはない。

(2)   自民党の派閥と金権政治

このところ自民党の派閥と裏金問題が巷間を賑わせている。それかあらぬか、本書の下記の記述が目を引いた:

⓵ 私自身それまで派閥絡みの金銭の恩恵に浴したことはなかったが、こと政治家に関わる金の動きなるものには鳥肌が立つような感触が拭えない。これが総理としての初の国政選挙のために実に四、五百億の金を投入したという田中角栄ならば、私の金に関するセンチメントを笑い飛ばすことだろうが。

② 中川(一郎)派の誕生を聞いて誰よりも辛辣な批評をしたのは他ならぬ田中角栄だった。「自民党にもうこれ以上の派閥はいらない。狭い池の中であまり跳ねると池から飛び出して干物になってしまうぞ」と。

 

 遅ればせながら漸く人並みにコロナになりました。先月末から熱が出て、喉が痛いため、薬をのんで臥せっています。写真の花は医者に通う道で出遭いました。スマホに訊くと蔓日々草(つるにちにちそう)と出ましたが、さてどうでしょう。こんなに寒いのに、よく頑張るなとついスマホを向けました。

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202422日)


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