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国破れて山河在り [忘れ得ぬ人々]

国破れて山河あり

 

 32年前の1991年突如ソ連という赤色帝国が消滅したとき、「国破れて山河在り」を誰が思ったのか、山河には人が棲むから新しいマーケットがあるはずとでも言うように、会社はソ連の中から生まれ出た新しい国々の一部に次々と駐在員事務所を開設。僕自身はカスピ海西岸、コーカサス山脈麓のアゼルバイジャン国の首都バクーに派遣され、そこで世紀を跨いで、日本と家族のもとに戻ったのは今世紀初頭のことだった。

 そして2007年の夏、月島は(つくだ)飲み屋に集まったのは、僕と相前後して旧ソ連から生まれ出た中央アジア国々ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン)コーカサスのアゼルバイジャン派遣された面々、当時東京本社で彼らを支援した人達だった。以来、名称も「中央アジア・コーカサス会」と名付け、最初はおずおずと年に一度、そのうち大胆に2~3回にピッチを上げて、会えば怪気炎を上げていたが、コロナの勢いには勝てず、2019年末以来鳴りを潜めていた。

 そしてついに先日の514日、秋葉原UDXビルの中華「盤古殿」に8名が集まった。足掛け5年振り、しかも指折り数えてみれば、ちょうど20回目のことだった。僕らが昔マーケット開拓に右往左往した国々との取引は、ウクライナ戦争の煽りを受けて恐らく塗炭の苦しみに喘いでいることだろう。だが世に在る限りは視野をできるだけ広く持ち、どちらかに偏った観方を避けて冷静に見守ることとしたい。心の内でそんなことを思いながら、酒を舐め、懐かしい戦友達のスピーチに耳傾けた、温かい春宵だった。

 古い写真2枚を紹介したい。1枚目は今からは10年前の夏、神楽坂の飲み屋で、ロシア極東のウラジオストックに派遣される仲間を送別する夕べ。そして2枚目は、ちょうど10回目の宴のあと、竹橋の赤坂飯店で別れる間際に撮っていた。

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2024518日)


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露伴の一族 [読後感想文]

露伴の一族

 

 そんなこんなでここ暫く、露伴一族の間を行ったり来たりしている。当の露伴については『五重塔』を読み始めたら、のっけから文章がなかなか終わらないのに業を煮やし投げ出したが、娘の(あや)(たま)エッセイ、あっちっちしい祖母世代没後30年以上が経つが、玉は我が母より若く、数えると今94歳ぐらいか、いずこかで存命のはずである。そして玉の娘・青木奈緒(エッセイスト、61歳)になって初めて我より若い世代の登場となる。手元に今彼女のエッセイ集『うさぎの聞き耳』があるが、なぜか手を出しかねている。若さが、まさか怖いのだろうか?

 過日図書館で『シルバー川柳(人生ブギウギ)』というのが目に留まり、思わず借り出していた。60歳以上が詠んだ川柳集だった。うち3首を紹介したい。

♢ 黄泉(よみ) たい 翔平 (衣鳩智恵子 77歳)

♢ イケメンの 介護来る日は 遺影伏せ (清水 潤 70歳)

♢ 来世も 一緒になるほど バカじゃない (白坂昌子 71歳)

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2024514日)


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露伴の孫 [読後感想文]

露伴の孫

 

 幸田露伴の血筋が書いたエッセイを読んだ初めは、露伴孫娘の青木 玉の『小石川の家』だった。その後は、玉の母親・(あや)のを3冊読んで、そして再び玉に戻り、今度読んだのが『帰りたかった家』。タイトルを見て、てっきり祖父・露伴の家のことかと思ったら違った。玉が未だ小学生の頃まで世に在った父と過ごした束の間の、親子3人暮らしのことだった。父は日本橋の裕福な老舗酒問屋の3男坊、兄弟2人同様慶大卒業後アメリカに留学したハイカラ族で滅法気は良いが優柔不断、妻・文の必死の支えを得て酒屋を営むが、玉が生まれる1929年の世界大恐慌の余波を受けて本家が倒産、ピンチのさなかに結核に罹り、にっちもさっちもいかなくなって1937年頃(玉8歳の頃)父母の離婚により父を失う(父はその4年後、玉12歳の頃に病没)。

 いやあ、この本を読み始めた最初の内は迷いがあった。そもそも自分はおのれ大事、家族大事で人様のことなど歯牙にもかけぬ性格である。道行く人はただの行きずり。若い頃は一段と傍若無人で、雀を捕らえて焙って食うは、足元に蟻が這おうが避けもせず踏みつけても構やせなんだ(蟻を見て、踏まないように避けるようになったのは、ついこないだのことなのだ)。まして露伴は歴史上の、その子も孫も遥かに遠い人たちだ。人生の残り少ない時間をわざわざ割いてまで、縁もゆかりもない彼らのエッセイをなぜ読もうとするのか?

 

 ほんに齢はとりたくないもの。『帰りたかった家』を読む途中その家がどんな家か知るほどに、とても他人ごとは思えなくなって、なんど心で泣いたことか。そして読み終える頃ふと思い出したのは、玉が『小石川の家』の最後に載せていた一文。それは母親の幸田 文が86歳で亡くなった時、火葬場から帰る喪主の玉の胸に湧いた次の言葉である(39日付投稿『小石川の家』で既に紹介済み): 「小一時間で母はすっかりこの世の苦行から解き放たれた姿になって、小さな壺を充たし桐の箱に納まって袈裟のような房付きの袋を着て私の手に抱えられ帰途についた」。

 幼くして母が病死したため、露伴の薫陶を受けて育った文の才気煥発的文章に比べると、その子の玉の書く文章にはどことなくおっとりした温かみが感じられてならない。ひょっとしてそれは、優しくも優柔不断な父の血によるものだろうか?

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(2024513)


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露伴の娘 [読後感想文]

露伴の娘

 

 ふとしたきっかけで青木 玉のエッセイ集「小石川の家」を読み、面白かったので祖父である明治の文豪・幸田露伴の「五重塔」を読み始めたら、のっけから一つの文章がなかなか終わらないのに業を煮やしギブアップ。んで次に手を出したのが露伴の娘の(あや)の短編だった。父に比べれば簡潔な文章ながら、やたら難解な言葉遣いこちとら劣等感を抑えつつ、スマホの辞書的機能に助けられ何とか読み終えたそのうち玉の娘(文の孫、露伴のまた物書きであることを知ると同じ血を追い下ってみようかと思い立った

 だが人生はままならぬもの、次に読んだのは『精選女性随筆集』という名の、またも(あや)である。明治生まれの彼女は、傘寿(数え80歳)の僕からすれば母よりは祖母に近く、更には文豪露伴の薫陶を受けた語彙が余りに豊かなためなんどスマホに尋ねたことだろう。風趣風韻(風流な趣き)、格物致知(深く追求し広く知る)、柄漏(つかも)り(雨が傘の柄をつたって漏る)、気が煎れる(いらいらする)等々

 数あるエッセイの中、特に心を掴まれたのは『金魚』と『午前2時』、いずれも小さな生き物との出遭いの作品である。金魚は、例の夜店で買う奴、10匹買ったらもう1匹がおまけで付いて来た。このおまけが、しかし家族の誰もが「おまけ」では可哀想過ぎると言って一番の人気者になる。普通は数日で死ぬものが、この11匹は20日を過ぎてなお元気。しかし或る日、とうとう2匹が死んだ。死んだのはおまけともう1匹。おまけは分ったが、もう1匹がどれだったのか、家族の誰にも見分けがつかない。11匹みんなを可愛がっていたはずなのにおまけの他はどれが死んだのかさえ分からない、その不条理さに胸を衝かれる家族の様子が淡々と語られる。

 『午前2時』は、鼠との出遭い。寝静まった夜中に(あや)仕事をしていると幼い娘が起きて来てトイレに鼠が居るので用が足せないと言う。行ってみると、なるほど鼠が居て、追い払ったら臭いウンチが残っていたというだけの短い話し。面白かったのは場所を弁えた鼠の大事な場面に踏み込ん迂闊悔やむ著者の心の動きだった。瞬間つい連想したのは、鼠ならぬ猫のこと。前世紀末の14年間、我が家にいたモスクワ生まれの2匹の猫はトイレの中どころか便座に跨って用を足した。1匹は1996年、僕がアゼルバイジャンのバクーに単身赴任する直前世を去り、もう1匹は翌年、赴任中に亡くなったが、最後の最後まで人間トイレに固執したことを女房からの便りで知った。亡くなる当日も何とか立ち上がり、よろよろとトイレに入ったが、どうしても便座に上がれない。見かねた女房が抱き上げてベランダに運びタオルの上に置いて、そして頼んだそうだ、「よう頑張ったね、偉いよ。でも、もういいからここでして頂戴!」。

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 下に掲げる2匹の写真は以前にも紹介したことがあり、草葉の陰から「2度も公開しおって!」と唸られそうだが、珍しい風景と思うので再掲したい。

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(202458)


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貴様と俺とは同期同宿の桜 [忘れ得ぬ人々]

貴様と俺とは同期同宿の桜

 写真の5人は、今からは57年前に学校を出て同じ商社の同じ独身寮に住み、ともに青春を謳歌した(と思い込んでいた)5人である。同期入社120名中14名が埼玉県に間近い北多摩の保谷寮に寝起きした。中でもこの5人、なぜか行動パターンが似通って、平日の夜は乗換駅の池袋にあった「赤い風車」なるバーに座っていたり、日曜ともなれば、寮内に響きわたる管理人のマイク、「皆さんお早うございます。雀がピイチクパアチク鳴いてます。今日は絶好の麻雀日和です。」に誘われ、幾たび(しのぎ)を削ったことか。

 この日の出会いの場所は、歌舞伎町の新宿プリンスホテル。すぐ見つかると高を括ったのが大間違いで、新宿駅を出ると半世紀前慣れ親しんだ街とはまるで別世界の高層ビル群。店先に立つ売り子に道を訊くも皆んな首を横に振る(日本語が通じない)。

 漸くたどり着いたホテルのカフェー。老人話しは歴史をどこまでも遡り今度もまた新入社員の頃通い詰めた「赤い風車」の話しになって、或る晩などは二人して飲んでいたら最終電車を逃したので、つい逆さクラゲにしけ込んだ。別々に敷かれた布団の一人がわざと「こっちへ来る?」と言った時、相方が驚いたのなんのって・・・。入社の年の、クリスマス・イブのことだった。

 あの時代、いつも金が無うてなあ、よう会社の共済会から借りたもんだ、と誰か言うので驚いた。この半世紀以上何故か思い込んでいたのだ、上司の許可を得て給与の前借などしたのはきっと僕ぐらいのものだろうと。それを言うと、(くだん)の友に鼻で笑われた、「俺なんかしょっちゅう目一杯借りていたぜ」。

 同期同寮は14人。しかし時の流れが4人を異界へ連れ去ったため、今も世に残るのは10人であるが、ここに集まった5人も、しかし80年の歳月の間には満身瘦躯、中でも3人は大手術の果てに今がある。一人は胸を裂き人工心臓で凌ぎながら冠動脈の手術を受け、別の一人は尿道癌で左尿管と腎臓の一つを摘出するとともに、腹腔内34ヶ所のすべてのリンパ節を切除、のみか最近に至り更に前立腺癌が見付かったため、X線治療を受けている。そして3人目は、難しい膵臓癌はうまく切除できたものの、その後遺症で血糖値の抑制が出来なくなったために、毎日4回のインシュリン注射が欠かせない。

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 夕刻が迫ったので、食前のインシュリンが待つ一人(見るからに後ろ髪が引かれているような風情の一人)と別れ、歌舞伎町の居酒屋に座って若い頃の話しに戻る。酒が五臓六腑に沁みわたる頃だった、とある中年の女性が僕らの席の傍に立っていた。そして問い掛けられた、一体どういうお仲間でしょうか、教えて頂いても宜しいでしょうか?と。誰かが答えると、そのひとの眼にみるみるうちに涙が溢れた、「すみません。つい父を思い出してしまいましたので・・・」。— 一瞬、一同言葉を失った。見ず知らずの他人(ひと)に泣かれたのは、人生初めてのことだった。

2024424日)


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スマホ人生(その3) [巷のいのち]

スマホ人生(その3)

 

 先日4年がかりで漸く1冊の本を読み終えた。ドストエフスキー作(工藤精一郎・訳)『罪と罰』である。と言っても、途中までは原語のロシア語版を並行して読み進め、全体の2割付近でついに原語版の通読を放棄した、曰く因縁付きの本である。この本を読みながら驚いたことが一つある。登場人物名の殆どがスマホに登録されていることだ。老人の読書が、それによって幾たび救われたことだろう。何年もかかったせいもあるが、劣化した記憶力ではこの登場人物が誰だったのか、思い出せないことがたびたびある。そんなとき駄目もとで偶々スマホに訊いてみたら、ズバリ正解が返って来た。例えば、アレクサンドル・グリゴーリエヴィッチ・ザミョートフ ― 彼は一介の警官で、端役中の端役であるのに拘わらず、スマホはきちんと教えてくれた。

 近年コロナ蔓延と無職人生に更に老人暮らしが相俟って人との出会いが激減、いきおい本に向き合う時間が増えると、やたら知らない言葉が目に付きだした。半生の不勉強の賜物だが、中には記憶から逃げ出したのもありそうである。で近年殊更スマホの検索機能のお世話になっている(直近の例は、『卒啄同時(そつたくどうじ)』、『DX』)。スマホが対応する言語は日本語に限らない。別途言語の追加設定をする限り、どうやら主要な外国語は何でもござれのようなのだ。僕の場合、例えばロシア文字でДо Свиданяと入力すれば、「さようなら」が表示され。それがもし難しい用語なら、ロシア語のウイキペディアの出番となる。

 かくして我が人生スマホとは切っても切れぬ関係に相なって、くぐもる唸り声耳にするたび、ついつい開き見る癖がついた。いずれがいずれを支配しているのか、心許ない点はあるけれど、敢えてポジティブに捉えれば、どでかい図書館をまるごとポケットに入れてるようなもの。草葉の陰のご先祖には、きっと想像もつかないことだろう。そして今日も布団に入ったあと、スマホ開いて見落とし無いことを確かめ、アラームを入れて、そして目を閉じて、一日を終わるのだ。

 写真は、小学校の校庭に咲く八重桜。昨日の日曜は校庭の解放日だったので、遊ぶ親子をこの樹下に座って終日見守った際、スマホで撮ったものである。

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2024422日)


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スマホ人生(その2) [巷のいのち]

スマホ人生(その2)

 このまま吸い続ければ肺気腫が嵩じて、あなた、死ぬより苦しむことになりますよ、と医者に言われて煙草を捨てたのが62歳の時だった。以来77歳まで15年間、肺に良かれと有酸素運動のためもあり週末、山歩きに勤しんだ。山に入れば自然だけが相手、そのうち慣れぬデジカメを持ち歩いて、富士山やら綺麗な花等撮り始めた。山歩きの最後の頃はスマホがデジカメに置き換わった。スマホには、撮った花の名前を示唆する識別機能があることに気付いたからだ。それまでは花の名前なぞ、梅、桜、タンポポ等両手の指ほども知らなんだ。

 この識別機能が、しかし草木に限らずもっともっと広範囲に亘ることに気付いたのは、山歩きをやめたつい最近のことである。コロナが流行り始めた春、王子稲荷神社を訪れると狐の石像がマスクをしていたので、社殿を背景に思わずスマホに収め、何気なく「レンズ」に触ったら、王子稲荷神社と出るではないか!先月は皇居を歩く機会に見知らぬ建物二つを撮ったら、「宮内庁」と「東京国立近代美術館」、いずれも正解だった。また今月に入りアパートのベランダで見つけた超早生まれの蝉は「油蝉」- これまた正解なのだ。

 こないだは帰宅する学童を引率するために立ち寄った小学校の校庭の木に、見慣れぬ淡紅色の花が咲いていた。木肌は真夏に咲く百日紅(さるすべり)に似るが季節も色も全く違う。そのときスマホが囁いた、「花梨(かりん)よ」。

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2024420日)

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スマホ人生(その1) [巷のいのち]

スマホ人生(その1)

  スマホをいつから持ったのか、もはや確たる記憶も失せているけれど、爆発的に普及し始めたのが2009年ということは、既に高齢者に仲間入りしていたことは間違いない。しかもその後の機能の進化が多面に亘り且つ凄まじかったために、メカにさえ弱い老人はなんとか見よう見真似で使ってはいるが、触れ得る機能はほんの一部だけ、あとは宝の持ち腐れのまま後期高齢の道標も越えて4年が過ぎた。

 そして今、気が付いたら己が日常はスマホの天下。朝スマホに起こされると、アラームを解除して画面に目を通す(誰かからメールかラインが来てないか?フェイスブックの投稿に「いいね」やコメントが来てないか?)。今日の天気もスマホに訊けばよい。

 都会のアパート暮らしは、隣は何をする人ぞ?まして4年前、最後の職場を去ってからは世間との接点も喪失、家族以外と接触する機会も滅多には無くなった。遠い故郷との親戚付き合も、母亡きあとは絶えてない。例外はある。幾星霜を経て今に残る、一握りの、ほんの一握りの友人たち。年ふるにつれ彼らとの出会いもまた激減する一方だが、スマホあればこそメールやラインで互いの消息を確認し合うことができる。

てな調子で一事が万事、家の中でさえスマホを離さない。着信音を耳にすると気になって、すかさず開いて確かめる。開いても、大抵は何で鳴ったか分からない(知らない機能のいずれかが反応したようだ)。東京も今こそ春爛漫、桜は散って葉桜になったが、今度はツツジが咲き始めた。アパートの庭に咲き出した花は、いずれがアヤメかカキツバタ?翳したスマホの言うことにゃ、アヤメだとさ。

 

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2024419日)


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ふるなじみ(その3) [巷のいのち]

ふるなじみ(その3)

 桜の蕾が膨らむ頃、久し振りに電子書籍の『罪と罰』に向き合う。物語は、もと学生の極貧の主人公ラスコーリニコフが、同じように極貧の、家族のため春をひさぐ娘のソフイアと運命的な出遭いを持つあたり。舞台はロシアの都ペテルブルグの、暗く猥雑な裏町。知らない単語に出遭う都度電子辞書を引いて結果を単語帳に記入しつつ、ときに工藤精一郎・訳『罪と罰』を参照する。そんな、ロシア語に対峙する姿勢は60年前の学生時代のものと些かの変化もないが、ただ決定的に違うのは、時の流れに当時と今では雲泥の差異があることだった。

 桜が花開く頃になって、とうとう心に決めた、この先は原文を離れ和訳専一で筋を追うことを。今から先の人生は、別れが一杯待っている。ロシア語との別れはその一つに過ぎない。そしてついに、僕には長かったラスコーリニコフの物語も終った。彼が金貸し老婆殺しを自首して出た結果シベリア送りになると、ソフィアも彼を追ってシベリアへ・・・。

 しかし、ふるなじみはいいものだ。これからは片意地張らぬまま、ロシア語に触れたい時は目で追って、聞きたい時は耳を澄ます、そんな風に過ごせたらと思うのだが・・・。

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2024415日)

 


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ふるなじみ(その2) [読後感想文]

ふるなじみ(その2)

 ロシア語は、80年近い我が人生では『ふるなじみ』と呼んでも、目くじら立てる人はいないと思う。大学で専攻したのがロシア語だし、商社に勤めた33年の大半はロシア貿易に携わり、現地にも11年以上駐在した。惜しむらくはその間、ロシア語で書かれた本1冊だに親しまなかったことである。そして56歳で総合商社を辞め、ステンレス・チタンの国内専門商社に移籍した時は、これでロシア語との縁は完全に切れたと思い込んだ。ところがその第2の職場を70歳まじかで追い出された時、ハローワーク経由でありついた職場が霞が関の官公庁の、ロシア語必須の職種だった。

 てな塩梅で実に14年振りでロシア語のお世話になった次第だが、このたびは何故かアカデミックな気分になって、ロシアの小説を原語で読み始めた。手始めに、通勤電車でも読めるように電子辞書と電子書籍を求め、5年かけてスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著『チェルノブイリの祈り』やセルゲイ・ドヴラートフの『わが家の人々』等5冊を読んだ。

 だがその職場も75歳のとき追い出され、折からコロナが蔓延(はびこ)り出して家に籠る日が続くうち突然のように、遥か昔の学生時代に買ったまま殆ど手を付けていないドストエフスキーの『罪と罰』を思い出した。すると、それを読まぬうちに果てるわけにはいかないような強迫観念めいたものに襲われ、つい原語の電子書籍を購入していた。

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 以来3年以上、『罪と罰』と格闘しているが、ドストエフスキーは現代の作家に比べ著しく難解である。他の本を読む合い間に時々手を出すという半端な読み方にもよるが、漸く全体の2割近辺に来たところで、残された時間が気になり始めた。さても思案のしどころか?

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(2024年4月13日)


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