ほんとの空 [巷のいのち]
ほんとの空
少年時代に読んだ高村光太郎の詩集『智恵子抄』の中に「あどけない話」という詩があった、「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ。どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話しである。」
以来、智恵子のあどけない話のことなど綺麗さっぱり忘れたまま還暦を過ぎた頃、山登りを始めた(喫煙で汚れ切った肺を有酸素運動で保たせようと目論んだ)。そして今からは13年前の2010年7月に、二人の老朋友とともに福島県に旅し、目指したのが日本百名山の安達太良山(1700m)、ほんとの空を見に行った。のに、ああ無常、漸くたどり着いた頂上は深い霧がたち込めて智恵子の青い空を隠してた。
先日の5月24日は久し振りの快晴に誘われ、半年ぶりに駒込の六義園に入ると、この季節に来たことがなかったせいか、瑞々しい新緑が眼に眩しく、それよりも何よりも心を奪われたのは、淡いブルーの五月晴れのもと、樹々の緑を掠めるように飛ぶ雲の白さだった。
智恵子さん、喜寿を越した瞳には、東京の空もほんとの空のように映ります。
(2023年5月29日)