SSブログ

決斗高田の馬場 [巷のいのち]

決斗高田の馬場


 


 心肺機能に基礎疾患を抱える高齢ゆえにコロナ上陸以来、外出を避けてひたすらアパートに籠り、散歩に出た僅かな間もひとを見たらコロナかと、なんとも失礼な目付きをして徘徊していた。そして3年が経ち漸く世の中が緩み始めた一昨日、今を去る56年前(1967年)に同じ商社に入社した同期の桜4人が集まったのは高田馬場の雀荘だった。入って驚く、平日の昼下がりなのに中高年の男女でほぼ満卓、コロナも糞もあるものか、むき出しの口からリーチやロンの声が飛び交っている。


卓を囲むのは久し振りだった。学生時代、悪友たちが二晩ぶっ続けの徹マン打つのを眺めて覚えてからは、のめり込み、商社時代も接待麻雀含め2030歳代はよく打った。しかし40歳を超えた頃、勝負は面白くとも、最後のお金のやり取りが何だか空しくなってきて、徐々に遠ざかった。てな次第でその世界からは実質30年以上足を洗っていたのだが、商社時代の友また様々、いくら老いても、手術で身体を刻まれても、なお仲間と雀卓を囲みたがる奴もいた。


今世紀も20年が過ぎたある日、そんな彼らから挑戦状が届き、受けて立ったのが2020218日のことだった。高田馬場の今日と同じ雀荘で卓を囲んでの四騎討ち。戦いの後は近くのヘギ蕎麦屋で一献傾けつつ、旧交を温めた。以来コロナのため中断していた決戦が一昨日の36日漸く実現したというわけである。勝敗はともかく、昼過ぎから夕方までの数時間、取ったり取られたりしのぎを削ったあとは、やっぱりヘギ蕎麦屋に場所を移して狂い酒を舐めつつ、お互いの来し方を振り返った。思い出の大部分はそれぞれが駐在したところの外国ばなし。台湾、南京、香港から始まりトルコ、パキスタン、ロサンゼルス、モスクワ、バクーへと、夢物語は果てしない。


狂い酒のせいでもなかろうが、悪友たちのしぶとさには驚いた。A君は、冠動脈が90%塞がったため、心臓を取り出す手術で助かった。B君にはもっと驚く。以前聞いたことがある、最初の膀胱癌のあと数年を経て尿管癌を発症し切除の上、抗癌剤治療を続けたが転移止まらず、ために11年前、腹部全域のリンパ節34ヶ所を切除したことを。しかしこの日、まるで他人事のように語るのだ、去年になって前立腺癌が見付かったのでX線で治療云々と。今じゃ、やけのやんぱちで生きていると言うけれど、焼酎を舐める顔色は昔ながらのいい男。とんでもない奴だなあと、ただ恐れ入るしかないのだった。


そんなこんなで21世紀2回目の果し合いが終わった二日後の今日、これを書きながら


ふと、子供の頃観た時代劇の断片シーンが頭を過ぎった。主人公はのちに赤穂浪士の一員として吉良邸に討ち入る堀部安兵衛。その安兵衛が恩ある人の助太刀に駆けつけたのが高田の馬場だった。ウイキペディアを覗くと、それはどうやら歴史的事実のようだ。時は元禄7年2月11日、西暦では196436日とある。えつ、と思った。僕らが高田馬場で闘ったのも3月6日だったのだ 


202338日)


IMG20230306175649.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感