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ふる里の秋(その1) [巷のいのち]

ふる里の秋(その1)


 


 久し振りの旅は、母の一周忌に向かうふる里への旅だった。木曽路がすべて山の中(島崎藤村「夜明け前」)なら、JR高山線の飛騨路はすべてが渓谷に沿う山あいの道。列車の先にはどこまでも山が重なり、カーブする都度また新しい山々の重なりが現われる。遠い山並みの果てにもし一際深い切れ込みがあれば、その下にはきっと渓流が流れ、今乗る列車はそこに向かって走るのだ。


 下呂温泉で泊まった翌朝タクシーで菩提寺を訪れ、一周忌の法要の後、山を少し登って墓に参る。真新しい墓碑には父と次男に挟まれた母の戒名がある。福壽妙斐大姉。福壽とは、幸せに長く生きたという意味だから、母の斐子(あやこ)に相応しくどこか艶やかだ。それにつけても思うのは、30年以上も前に他界した父の戒名の方だ。達道公僕居士。父・達雄は田舎の小さな特定郵便局に長く勤務。そして母は、父を偲ぶ追悼集に書いた、「17歳から63歳まで、47年間、郵政一筋に勤めて(中略)、何よりも職場を愛し、仕事大事に勤めていた様です。退職してからも『郵政で一生飯を食わしてもらったのや、たとえやめても郵政のために貢献するのが当り前』というのが主人の信念で、(中略)『達道公僕居士』の戒名の如く、公僕に徹した一生だったと思います」。父は確かに謹厳実直を絵に描いたような公務員だった。しかし、魚釣りが大好きで、酒をこよなく愛し、そそっかしい失敗談にも事欠かなかった(例えば、母を見初めた頃、母が下宿していた家の2階を仰ぎ見ながら歩いていて、赤い郵便ポストに正面衝突)。戒名にはもう少し色を付けてほしいと思ったが、所詮は後の祭りであった。

 


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 飛騨の山もまた麓の里も今がちょうど紅葉の真っ盛り。モミジが真っ赤に燃え上がっている。そんな中に小さな白い虫がいっぱい飛んでいる。久し振りに見る雪虫だった(京都ではユキンコというらしい)。これが飛ぶと、1~2週間後に初雪が降るという。実家の庭の中でもふわふわと、ふわふわと飛んでいた。スマホを構えるのを忘れたが、体長5㎜が飛ぶ様を捉えることは至難だったに違いない。掲げた写真はネットからの盗用なのでお許しあれ。


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20221114日)


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