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物語 ウクライナの歴史(その2) [読後感想文]

物語 ウクライナの歴史(その2)


 


 前稿で触れたように、ロシア・ウクライナ・べラルーシ3か国の原型とも言うべきキエフ大公国が300年の繁栄ののちタタール(モンゴル)に滅ぼされたあとは、700年もの長きにわたって彼の地に独立国は現れず、住民はいろんな国家の支配を受けた。しかし、『物語 ウクライナの歴史』に描かれるその間の出来事を追ううちに気付くのは、その700年が被支配とは裏腹に、むしろ反乱と独立運動に満ち満ちていたことだ。反乱者はその時々で様々だったが、最も印象的なのは、ドニエプル川中流域に巣食う自警団のようなザポロージェ・コサックであった(ザポロージェは、目下ロシアとウクライナが対峙する4州の中の、あのザポロージェのことである)。


 この本を読みながら、コサックについて余りにも知らな過ぎる自分に気が付いて狼狽える。遠い昔モスクワに8年も住み、時々は劇場で男の踊り手が中腰のまま足を前に繰り出すコサックダンスを観て、ああこれがコサックかと、ただ思うのみだった。


 ともかく被支配の長い年月を通じ独立に向けた動きが絶えなかったようである。そしてその流れは20世紀に入ってむしろ加速する。20世紀は激動の時代。二つの世界大戦があり、その狭間でロシア革命が起こりソ連が生まれる。この20世紀には、二つの大戦の最中も含め、ウクライナは何と6回も独立国家の樹立を宣言していたというから驚きだ。そのうち5回は宣言だけで終わったが、ソ連消滅の引き金になった19918月のクーデター直後に発された6回目の独立宣言こそが、ついに実を結ぶことになった。


 即ち同年121日、ウクライナの完全独立の是非を問う国民投票を実施結果、90%が賛成票を投じた。ロシア人の多いドネツク、ザポリージャ等(現下の激戦地)でも80%以上が賛成し、ロシア人が過半数を占めるクリミアさえ54%が賛成票を投じた。


 この時にあったエピソードが紹介されている。祖先が外国に移住したウクライナ系の若者がたくさん選挙の応援にやって来た*注参照)。結果が判明すると、彼らは一日中、夜通し、歌い踊りまくった。現地のウクライナ人が「くたびれないのか」と訊くと、「踊っているのは僕らだけじゃないんです。先祖の魂も一緒なんです」と答えたと。


 *注)19世紀末~20世紀初頭、多数のウクライナ人がロシアから新大陸に移住。結果、現在米国に150万人、カナダに100万人のウクライナ系が住む。


 


 


 東京はここ数日風が強いため寒さが身に染みる。夕方は学童帰宅パトロールに出掛けるが、子供は風の子、元気がいい。我れ負けじと気合は入れる。ふと路傍を見ると、仏の座。こんな寒いのにもう花が湧いている。春なのか?


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2023215日)


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