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最後の慎太郎節 [読後感想文]

最後の慎太郎節

 

 石原慎太郎を読むのは9年ぶり、遠いぼやけた記憶と今世紀初めに付け始めた読書記録を足すと全部で10冊目ぐらいになろうか。遠い昔に初めて読んだ『太陽の季節』は、障子を突き破る怒張した物に衝撃を受け、己にも可能かと一瞬迷ったような覚えがあるので、多分中学生の頃だったか。こたび読んだ「『私』という男の生涯」は、丁度2年前89歳で亡くなった著者が死後出版を条件に20有余年にわたり書き続けた絶筆のようである。

 英雄色を好む?死後出版条件とはいえ、世に知れ渡る子供もいるのに拘らず、暴露される数々の不倫関係の結果、庶子までいることを告白。6歳も年上の大女優の場合は、実名(高

峰三枝子)まで挙げて、彼女の自宅の寝室まで誘い込まれたが、最後の所で思い留まったらしい。高峰三枝子と言えば、かって戦時中の慰問に参加、彼女が歌う「湖畔の宿」に特攻隊員が涙を流して喜んだという。そのことは数年前、群馬県の榛名山に登ったあと降りた榛名湖畔の歌碑に添えられていた碑文に教えられた。偶々その時、湖を渡る遊覧船がその歌を流していた、

「山の淋しい湖に

ひとり来たのも悲しい心

胸の痛みにたえかねて

昨日の夢と焚き捨てる

古い手紙のうすけむり」

紛れもない、高峰三枝子の声だった。

 石原兄弟は、僕らの世代にとっては英雄だった。兄の慎太郎は1955年、20歳を越えた若さでいきなり「太陽の季節」で芥川賞を受賞するや、それが映画化、この映画に出演した弟の裕次郎が一躍スターの座を駆け上がり、国民的俳優に昇りつめる。兄はその後作家としてデビューしたばかりか、1968年には政界に打って出て、4期にわたる東京都知事を含め40年以上を政治の世界で活躍。

 慎太郎のトーンは相変わらず自信に満ち。本書「『私』という男の生涯」の中でも、芥川賞が彼を有名にしたよりむしろ、彼が芥川賞を有名にしたのだと(うそぶ)く。しかしこの本のところどころから、本音のようなものが透けて見える。それはどうやら老境が否応なしに進む中、確実に近付く不可知な死に対するある種の慄きのようなもの、そしてそれはこれを読む僕らにも共通の感覚なのだ。

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202421日)


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