惜春賦 [巷のいのち]
惜春賦
3月に入ると街のそこかしこで純白の、中には紫の花が咲き始めた。木蓮の仲間だ(モクレン科モクレン属)。モクレンはすぐに判る、紫色の花弁が空を見上げるように咲くからだ。
白いのは白木蓮か、或いは辛夷、その見分けは難しいが、コロナの時代に繰り返した散歩のお蔭でみっちり勉強させてもらった、と思いつつ、いざ現物を前に蘊蓄を傾けようとして戸惑った。何もかも忘れていたのだ。慌てて過去の投稿を探すと、2021年3月11日付『蟹股人生』の中に、写真を掲げ高説をのたまわる己がいた、「コブシとハクモクレンを何とか見分けられるようになった。コブシの花は花弁が6片で、花の向きはてんでバラバラ、ハクモクレンは9片で、花はみんな空を向く。ややこしいのは弊辛夷、こいつは花弁が12~30枚もあるらしい。」
眼前に聳える高い樹の、花はいずれも慎ましげに空を向き、大事な花芯を隠している。これはきっとハクモクレンだと見当をつけた。
別の場所で咲く白い花は、6枚の花弁を惜しげも無く開くその下に1枚の葉っぱを擁しながら、あられもなく黄色い花芯を曝け出す。これが多分コブシなのだ。
別の日に少し遠出をした時に、6枚を遥かに越える白い花弁が、これまた花芯をこれ見よがしに晒していた。シデコブシのようだった。
だが、その近くに咲いていた6片の白い花は、花芯も露わでコブシかと思ったが、高木と言われるコブシにしては、花が目線の下にある。妙に思って検索すると、コブシによく似て低木の田虫葉というのがあるようだ。コブシと違って、花の下には葉が無いというから、それかなあ。
この春の詮索は以上である。こうしていろいろ揣摩臆測を重ねても、また来る春が仮にあるとして、そのとき記憶が蘇る保証はなんも無い。無いけれど、今はただこっそり念じよう、「あしたに道を聞かば夕べに死すとも可なり」―なあんちゃって。
(2023年3月18日)
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