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踊る菩薩(小倉孝保・著) [読後感想文]

踊る菩薩(小倉孝保・著)

 

 ある人のフェイスブックの投稿で『踊る菩薩』という本があるのを知った。踊る菩薩?訳が分からぬまま図書館に予約を入れたら、先約がいくたりか、人気がある様だ。そして忘れた頃に漸く届いたので手に取ると、半年前に出版されたばかりの新刊本。副題は『ストリッパー・一条さゆりとその時代』。何とそれは、ストリッパーの伝記だった。

 伝記と言えば、人生で初めて出遭った絵のない本が、偉人伝だった。山あいの小さな村の小学校の教室、そこの隅の棚に並んだ偉人伝の石川啄木、野口英世、マハトマ・ガンジー・・・素直に感動しつつ読んだ記憶がある。その65年後に手にしたのが、この伝記だった。本によると一条さゆりは、一世を風靡した希代のストリッパー。なのに、同じ時代に生きながら、そのことを知らぬまま老いてしまった我れ。彼女が68歳で没した26年前は、カスピ海の畔バクーの町に単身赴任、なんも知らずに生きていた。彼女は1929年(昭和4年)生まれだから、母と僕の中間の世代、母より9歳若く、僕の15歳年上だった。

 どんな偉人も敵わぬ凄まじい人生物語である。日本が戦争に向かって歩み始めた時代にキューポラ(鋳物の溶解炉)の町(埼玉県川口市)の鋳物職人の家に生まれたが、7歳で母と死別、継母に苛められた戦時下、15歳で家出する。戦後最初はパンパンになり、次いで女給をやり、最後にストリッパーとなるや、一躍「特出しの女王」として名を馳せる。

サービス精神が旺盛で、とにかくお客を喜ばせることに意を尽くす。例えば、こんなやり取り、「一条さんも目を合わしてはるんですか」、「あたしは一人一人と目を合わせて踊るようにしているの。みんなあたしを彼女(恋人)やと思うてるんやから」。彼女の動きに合わせて、客席が波を打ち、どよめく。客が喜べば喜ぶほど、演技に一層の熱が籠る。

 一条さゆりは、しかし余りにも有名になり過ぎて、検察から目をつけられ、公然猥褻罪で逮捕されること9回に上り、ついに引退を決意し、1972年引退興行を行う。ところがこの引退の舞台でついサービスを尽くしたため、大阪府警に踏み込まれ、今度は懲役の実刑を食らう(それまでは罰金刑で済んでいた)。

 刑務所から出所後も、泥酔した挙句の痴話喧嘩やら交通事故やら放火による火傷やら、波乱万丈が続いた後、最後は大阪市西成区釜ヶ崎のドヤ街の三畳一間に落ち着く(生活保護者として)。それもしかし長くは続かなかった。長年にわたる荒んだ生活により糖尿病を患い、1997年肝硬変により68歳で他界。

 池田和子(さゆりの本名)は晩年、釜ヶ崎の住民や労働者とも親しく優しく付き合った。それかあらぬか、近親者のいない葬儀の日、降る雨の中、読経を外で聴き合掌する人(殆どが喪服ではなく、作業着かジーンズ姿)が百人ほど、中には傘も無く濡れそぼる人もいたらしい。ストリップ劇場の客や市井の恵まれぬ男たちにとって、一条さゆりはやっぱり菩薩だったのだ。

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2023314日)


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