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抑留記(竹原 潔)とプーチンの戦争 [読後感想文]

抑留記(竹原 潔)とプーチンの戦争

 

 前回の投稿「抑留記(竹原 潔・裕子)」で触れた通り、先の大戦から77年も経った今頃出版されたこの本を、昭和19年に生まれたとはいえ戦時体験など皆無の自分が読む気になったのは、サラリーマン生活最後の6年と関係がある。その6年間、僕はお役所に通いロシア語資料の翻訳に携わった。資料は、その昔ソ連の捕虜収容所が収容した日本人捕虜について記載した個人情報であった。

 単なるロシア語の翻訳の仕事だと、軽い気持ちで霞が関へ通い始めた僕は、日を追うにつれ妙なことに気付いた。日本の戦争が終わってから70余年、僕の気持ちの中では、あれは遥か昔の出来事で、すべてはとっくに清算済みのはずだった。なのに、何故いまソ連に抑留されていた日本人捕虜なのか?徐々に、しかし霧が晴れ、そして知った、あの戦争が未だ終わっていないことを。即ち、ソ連(含・モンゴル)抑留者575,000人の大半は後年日本に生還しているが、残る約1割の55,000人のうちロシア側の資料によって死亡が確認できたのはその6割に留まり、21,000人についてはロシア側からの資料不足により未だ杳としてその行方が知れないのだ。

 それはともかく竹原 潔の「抑留記」には、これまで読んだ同様の手記には見られなかったリアルな抑留及び監獄生活の実態が描かれている。おそらくそれは、この手記が他人に見せるためではなく自身に向かって書かれたために、何の衒いもなしに、起きたことを淡々と綴ったからであろうし、また、彼が通常の「日本人専用収容所の抑留者」の立場から、軍法会議による判決後は政治犯たる囚人となって、ロシア人犯罪者専用ラーゲリ(強制労働収容所)に叩き込まれるという特異な体験をしたためでもあると思われる。

 文中、おやっ?と思ったことのうち、今日はその一つを紹介したい。冬場は零下56度まで下がる極北のコルイマ収容所で、あるロシア人の囚人のたまわく、「軍律違反で5年の刑を貰ってラーゲリに居たんだ。ところが今度の戦争だ。(中略)戦争が激しくなってラーゲリで戦争に行く志願兵を募集したんだ。戦争に行って働いたら、刑を免除するという条件でナ。(中略)みんな志願したな。戦争だから弾丸にあたって死ぬこともあるだろう。しかし、うまく行ったらもうけ物だからナ。わしは幸い弾丸にもあたらず、四年間も戦争をやり勲章をもらい、曹長になった(後略)」。

 これを読んで君がどう思うかは分からないが、僕はええつ?と思った。ついさっきまで、犯罪人をウクライナの戦争に使うのはプーチンの専売特許だと思い込んでいた。ところがそれが実は古い、古い手口だったとは!

 今日は今から小学校へ、学童の帰宅パトロールへ。日毎に日が短くなるので、アパートに戻る頃は真っ暗だろう。写真は、それぞれ別の日にパトロールから我がアパートに戻り、9階の廊下から見た東京砂漠の夕景色である。

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20221117日)


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