ふる里の秋(その2) [巷のいのち]
ふる里の秋(その2)
一周忌の11月13日(日)、墓参りのあと、母が嫁入りしてから71年を過ごした実家に寄り、かってこちらから母に送った手紙や写真等を検分した中に、一冊の雑誌があった。その表紙から見詰める女性の顔を見て、あっと思う。その人は、当時勤めていた会社が26年前にアゼルバイジャンの首都バクーにオフィスを開設した時、そこへ派遣された僕が最初に雇用した3人のスタッフの1人であった。彼女はミス・バクーになったことがあるから、いつの日か記念に貰った雑誌なのであろう。
表紙をめくって、もう一度驚いた。そこには1997年8月4日付の日本の新聞の切り抜きが貼ってある。それは、勤務先の求めに応じて僕が書いた文章だった。
【アゼルバイジャンと日本の共通点】
アジア最果ての国アゼルバイジャンに、日本関係のオフィスが二つある。いずれも生まれて一年に満たない。その一つがわが事務所で、スタッフも若く、三人とも二十代である。
昼食は、賄いのおばさんが作ったものを皆で食べる。といっても、男女7歳にして席を同じゅうせずで、男は男同士、女性は別の部屋で、ということになる。
肉料理はマトンが多いが、臭みはない。野菜が豊富で、草のようなのを、生のままやスープに入れたり、肉に包んだり、卵と一緒にいためたりと、調理法もさまざまである。最近、みそ汁とチャーハン、カレーライス、ほうれんそうのおひたしが、おばさんのレパートリーに加わった。この国に住む日本人三人のうち一人が女子留学生で、彼女から教わったのである。
こうした昼食をスタッフと一緒にとりながら、お互いの習慣や家庭について尋ね、また語るうちに、どこか日本と似ていることを感じる。彼らは物腰が概して柔らかで、静かに、相手の気持ちを推察しながら話す。自己主張は少ない。
「もしかしたら君たちにも、生まれたとき、蒙古斑がなかったか」と聞くと、若者たちは皆「そんなものは、あったはずがない」と言う。たまたま居合わせた賄いのおばさんが「あった」とうなずいた。二人の子供を産んだとき、どちらにもくっきりと斑点が浮いていたとか。若者たちは幼い時、自分のおしりを見た訳がないので、おばさんの勝ちである。
イスラムの国とはいっても、酒は飲むし、豚肉を食べる人もいる。祈っている人の姿も見かけたことがない。スタッフのだれ一人として、コーランを読んだことがないという。わずかに冠婚葬祭で、イスラムの風習が見え隠れする程度だ。
日本人はどうか。自分は仏典など見たこともないし、仏教や神道のかけらも知らぬ。結婚式は神前だったような記憶があるだけである。父親の葬式では、お経を読み終わった僧りょが、刺し身を食べていた。ここのイスラム教徒となんと似通っていることか。
オフィスランチを食べながら、スタッフと話をしていると、アジアで最も東の国と西の国とが、根底では相似していることに驚くことが、よくある。
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一昨日、僕はこの雑誌を持ち帰った。25年も昔、僕はこの雑誌を母に送った。何のために?きっと、こんな美人と一緒に仕事をしているんだと自慢したかったに違いない。新聞記事の方はまた、現地のオフィスの様子を知らせるふりをして、載ったことを自慢したかったのだろうか?その頃の自分自身の意図などすべては忘却の彼方に消えているが、間違いないのは、母がこの雑誌と新聞の切り抜きを後生大事に持っていたことだ。ふと思い出す、いつだったか目を輝かせるようにして母が言っていた、自慢話は他所で言ったらあかんよ、と。
(2022年11月15日)
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