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抑留記(竹原 潔・裕子) [読後感想文]

抑留記(竹原 潔・裕子)

 

 新聞広告を見て何とはなしに図書館から借りて来た新刊本「抑留記」。最初はごく軽い気持ちで読み始めたが、気が付いたら自らが時代を70年も遡って、主人公(記録者)の竹原 潔(陸軍中佐)の中に潜り込み、満州から西のマルシャンスク(モスクワ近郊)へ、翻って東のハバロフスクへ、とどのつまりは極北の零下56度のコルイマへと、ラーゲリ(強制労働収容所)を巡り歩いていた。滅多にないことだった。

 いや、シベリア抑留というテーマ自体には、それだけで尽きせぬ興味がある。何故なら我がサラリーマン人生52年を締め括る、古希に始まる6年こそが常に同じテーマの下にあったからである(その6年僕は霞が関のお役所で、抑留帰還者や未帰還者に係るラーゲリのロシア語資料の翻訳に従事していた)。

 そんな関係もあってその頃、シベリア抑留に関係した単行本を何冊か読んだことがある。何冊?と思って読書記録を覗いたら、17冊も読んでいた。しかし、しかしだ。これまではこの「抑留記」のように惹き込まれるように読んだ記憶はない。今度のはどこか異質なのだ。何故だろう、と思って思案するうちあることに気が付いた。それはこの本が出版される(他人に読まれる)目的で書かれたものではないということである。記録者本人の竹原 潔が40年も前に物故している中、今般出版を決意したのは姪の竹原裕子。だからであろう、潔はラーゲリで起こった出来事を糞尿譚も含め衒いもなく赤裸々に綴り、当時囚人間で交わされた卑猥な罵り言葉を至る所に散りばめている。

 それでいて不思議なのは潔の、それこそ大和男子の鏡のような高潔な人柄が全編に満ちていることである。彼は日本軍の特務機関の情報将校ゆえに25年の最高刑を食らい、シベリア抑留者の中では最も遅い最後の船で帰還している。過酷な環境下の強制労働のため骨と皮だけになっても、露助(ロシア人に対する当時の蔑称)の看守や牢名主に(おもね)ることなく、日本という国と日本人を意識して頑張り通した姿には胸をうたれた。

 かくして11年にわたる抑留生活の思いのたけを筆を執って書き散らした潔だが、その死後40年後に自らの雄叫び「抑留記」が姪の手により出版され、僕のような有象無象の眼に晒されようとは思いも寄らぬことだったに違いない。

 驚いたことがある。叔父の潔の手記を出版しようと決意した姪・竹原裕子の解題を読むと、山崎豊子があの「不毛地帯」を書く直前に竹原 潔に何度もインタビューを重ねたそうだ。主人公・壱岐 正のモデルは瀬島龍三(抑留11年を経て伊藤忠に入社、伊藤忠会長を経て、中曽根康弘首相の懐刀になる)だと喧伝され、てっきりそうだと思い込んでいたが、正義感に溢れた壱岐のひたむきな生き方を思うとき、竹原 潔こそ遥かに相応しいと思えてならない。「不毛地帯」の真のモデルは、少なくともラーゲリを生き抜いた抑留時代に限っては、瀬島ではなく竹原 潔こそ相応しいと思えてならない。

 この「抑留記」を読む中で、この他にもいろいろ教えられたり、感動させられたりしたことがあるが、それらについては別途日を改めて記すこととしたい。

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20221111日)


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