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僕の内なる太平洋戦争(寒い国から来たスパイ) [読後感想文]

僕の内なる太平洋戦争(寒い国から来たスパイ)

 「近衛文麿(林 千勝)」は400頁近い単行本だから、年寄りにはちと辛かった。登場人物の半分は聞いた事もない名前、あとの半分は名前だけはどこかで聞いたことのある中に、尾崎秀実(ほつみ)がいて、この人の本「愛情はふる星のごとく」を読んだ記憶がある。確か25年ほど前、カスピ海の畔アゼルバイジャン(旧ソ連)の首都バクーに駐在してた頃だ。だが中身は?きれいさっぱり記憶から消えている。当時、単身赴任の僕がバクーの街を漫ろ歩いていた時、とある公園で異様な石碑に遭遇した。人物像でもなければ、顔面像でもなく、ただ二つの眼が道行く人を睨んでいるのだ。それは、先の大戦の最中、ソ連のスパイとして日本で捕まり処刑されたドイツ人ジャーナリストのリヒャルト・ゾルゲ。バクーは、彼の生地だった。それで調べると、ゾルゲと相前後して捕まり、一緒に処刑された日本人が尾崎秀実だったのだ。彼が獄中で書いたのが「愛情はふる星のごとく」と知り、似非ロマンチストが俄かに興味を掻き立てられたとしても不思議ではなかったろう。

 今回「近衛文麿」に改めて教えられた尾崎もやはりロマンチストだったのか、東大時代に共産主義に惹かれ、コミンテルンに参加、朝日の記者時代には1936年の西安事件(張学良による蒋介石の拉致・監禁事件)の行く末(蒋介石の延命とその後の国共合作)を正確に予想したことにより、一躍有名を馳せ、やがて近衛のブレーン・トラスト「昭和研究会」の一員となり、やがてその中に新たに立ち上げられた「支那問題研究会」の委員長に就任する一方、近衛首相官邸に一室を得て、政府の機密情報に常時接するのであった。

 昔、バクーで惰眠を貪っていた若い頃は(と言っても50歳を幾つも超えてはいたが)、世の中の事なんにも分かっていなかったようである。「愛情はふる星のごとく」の中身は一切忘却の彼方だが、これは尾崎が巣鴨拘置所で書き綴った妻と一人娘に宛てた書簡集であったらしい。なお、ゾルゲについてはてっきりバクー出身とだけ思い込んでいたが、彼は石油掘削技師のドイツ人の父と、ロシア人の母のもと確かにバクーで出生したものの、彼3歳の時には一家で既にベルリンに移住している。なのにあの、バクーで見た大きな眼の石碑が何故あそこにあったのか、今にして思えば不思議である。不思議ではあるが、ゾルゲが掴んだ情報(日本の基本方針は「南進」、ソ連に向かう「北進」は無い)は、ドイツに西から猛攻されていたソ連にとっては(二正面作戦が回避できる意味で)、実に貴重な情報であったのか?幼時にソ連を離れたドイツ人のために、あのように大きな眼を二つ造って顕彰するほどに?

 掲げる写真の2枚は、ネットからの尾崎とゾルゲの顔。3枚目の大きな二つのギョロ目は、前世紀末バクーの公園で撮ったゾルゲの記念碑。なお、ゾルゲと尾崎が絞首刑により処刑されたのは1944年の117日、その日はちょうどロシア革命記念日であった。

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2023918日)                                                                                                                               

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