物語 ウクライナの歴史(完) [読後感想文]
物語 ウクライナの歴史(完)
本書にも教わることが一杯あった。たぶん学ぶそばから忘れるはずなので、特に心を掴まれた事柄を、図書館への返却期限が来ぬ前にこうして綴る次第。読み終えて思うのは、ウクライナという国が蒙った余りにも数奇な運命、しかもそれがこれまでにもない壮絶な形で今なお進行中なのだ。
長期にわたる抑圧と抵抗の歴史には、更に凄まじいほどの戦禍が加わる。第2次世界大戦における独ソ戦の主戦場がウクライナであったために、ウクライナの軍民合せた死亡者は530万人、これは日本(310万人)の倍に近い。キエフ等の主要都市は破壊し尽くされ、ために物質的損害に至ってはソ連全体が蒙った損害の40%に当たり、ロシア、ドイツ他を超えている。
さて、『物語 ウクライナの歴史』の感想を終わるに当たり、この本が曝け出した僕の無知さ加減を恥をしのんで書き留めておきたい。大戦末期の1945年2月にウクライナのヤルタ(ロシアが昨年併合を宣言した、あのヤルタ)で行われたヤルタ会談のことである。老いた頭に残る知識は、そこに米国F.ルーズヴェルト、英国チャーチル、露国スターリンが集まって終戦処理を協議、その中でソ連の対日参戦が促された・・・・という程度であったが、本が二つのことを教えてくれた。即ち、
一つは、国連の創設時にソ連に加え、ウクライナとベラルーシも原加盟国にするようスターリンが強く求め、了承されたこと(僕ときたらこの齢になるまで、ソ連の内なるウクライナとベラルーシにも国連の投票権があることなど思ってもみなかった)。
二つ目は、ソ連の対日参戦問題がチャーチル抜きで、米ソの二人だけで協議され、見返りにソ連が日本領の南樺太と千島列島を要求、余命僅かなF.ルーズヴェルトがこれを呑んだこと(末期癌の彼はこの2か月後に他界)。小説よりも無残かな。
本書に学んだ事を今一つだけ記したい。ウクライナがかっては『小ロシア』と呼ばれたことである。14世紀に生まれたその言葉は、本来『ギリシャ正教を信じるルーシなる小さな地域』という意味合いのものが、18世紀以降は『ロシア帝国の辺境の地』なる蔑称として、しかも公的に使用されたというからびっくり。プーチンはもしかして今も思うのか、「小ロシアごときが何を生意気に!」。
朝まだきは、零下一度℃だった。沈丁花の蕾が紅く膨らんでいる。風立ちて冷え込む中、春は、今にも弾けそう。
(2023年2月16日)
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