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抑留記(竹原 潔)と糞尿譚 [読後感想文]

抑留記(竹原 潔)と糞尿譚

 

 ソルジェニーツェンの収容所群島に描かれていることはすべて事実であると、「抑留記」の中で竹原 潔は語り、次のように断言する、「彼が収容所群島に書いていることは、全部私は経験している」。そして9種類のいずれもおぞましい具体例を挙げているが、うち二つを紹介したい。その一つは南京虫、「南京虫がいるなどと言うもんじゃない。南京虫の中に人間がいるのである。一晩中一睡もできない。(中略)パン五百五十グラムで造る血はわずかである。そのわずかの血はこの南京虫に吸われてしまう。(中略)このままでいたら、私の命が危ない。(中略)夜になった。戦闘開始である。(中略)朝までの戦果は三百匹だった」。

 そして二つ目は、尾籠(びろう)な話で恐縮だが、便所のことである。これについては著者自身が文中で恐縮している、「またしても便所の話しである。この私の記事の中にはしばしば便所の話が出てくる。何分の一かは便所の話である。(中略)私の記録の中にしばしば出て来るという事は、その自然の生理的現象が常に異常な形で行われているからである。ただ、これを異常と見るのは我々だけであって、ロシア人にとっては全く平常であるかも知れない。(中略)大の方は大抵密室で行われるものである。ところが、我々は入ソ以来すでに三年を過ぎたが、大を密室でしたことがない」。

 「監房の一日は先ず午前六時、廊下で打ち鳴らす鐘の音に始まる。(中略)間もなく監守の号令がかかる、『便所!』(中略)全員揃って、ゾロゾロと便所(といっても普通我々が考える便所ではなく、一部屋の片側に十三、四ある穴のある板がならんでいるいわば便所房である)。(中略)紙で尻を拭く者は一人もいない」。

 以下は軍服についての記載、「私の軍服である。もうすっかり古びているし、冬服だというのに、裏地の半分程は千切れてなくなっている。裏地のルパシカが千切れているのは着古して自然にそうなったのではない。監獄に入ってから便所に行ったとき後始末をするのに、紙の代わりに毎日少しずつ破って使ったからである」

 まるで奴隷船のような囚人護送船の中では、「便所は船倉から甲板に上がるタラップの所にある。(中略)そこに桶が三つ置いてあるだけで、桶の上に踏板もない。船倉は超満員である。桶のすぐ横だって開けておくことは出来ない。ほとんど桶を抱えるようにして寝ている奴もいる。小便ならよい。大なら苦心してその桶に上がり、縁に足を踏ん張って尻をまくらねばならない。下からロシア人が見上げている。小便が一杯溜まった中に糞塊を落とす反動が自分の尻を襲うだけではない。桶の縁を越えてそこらに寝ているロシア人まで被害者にする」。

 ユニークなトイレと言えば、僕自身1970年代のインドネシアとか、80年代のロシアでそこそこ個性的なのに出くわしたことはあるけれど、「抑留記」のそれには遠く及ばぬものだった。

 

 一昨日、六義園を覗くと、秋はたけなわ。モミジが、水面に映る婀娜あだな姿に見惚れていた。

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20221121日)


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