続・一期一会


 


 いつもの散歩道の途中に一本(ひともと)南京(なんきん)(はぜ)がある。普段はただ通り過ぎるだけだが、梅雨の前後、葉が茂り緑の()(すい)が咲く頃は、必ず歩を(ゆる)める。枝先の葉にカメムシがいないか探すのだ。東京に住んで半世紀、カメムシなど見たことも無かったのに、失職とコロナ来襲をきっかけに散歩を始めて迎えた最初の初夏に、南京櫨の葉の上に黄斑(きまだら)(かめ)(むし)を見付けると、去年も今年も同じ樹にそっくりなのを見付けた。樹は他にもいろいろあるのに、何故か他では見たことがない。カメムシの寿命は1年というから、これで3代と出会ったのだろう。今年はしかも、成虫を見た翌日、幼虫らしきものが這っていた。


 


 昔々子供の頃は山村の、田んぼの中の一軒家に住んでいたので、カメムシなどありふれていたが、18歳で東京に出てからは存在そのものを忘れていた。突然の再会は11年前の201110月のこと、大学時代の同級生2人と連れ立ちJR東日本主催の駅からハイキング「秋山やすらぎウオーク」なるイベントに参加した後、山深い北信地方の民宿・鳥甲荘(とりかぶとそう)に投宿、部屋に入ると、カーテンの(ひだ)にいるわ、いるわ、カメムシがうじゃうじゃ。3人で必死になって捕まえたが、まるで遠い昔の子供時代にタイムスリップしたよな不思議な宿だった。21世紀なのにトイレはボットン便所。外に出れば満天の星の下、峨峨たる鳥甲山(とりかぶとやま)が迫っていた。


 子供時代、カメムシに何気なく触ったら酷い臭いが手に沁みついて、洗っても洗っても落ちなんだ。人は、カメムシを屁こき虫と呼んで忌み嫌ったが、それさえ今は懐かしい。


7月も中旬を過ぎると、南京櫨に虫の姿が見えなくなった。また会う夏は来るのだろうか?


2022731日)