ふる里便り


 


 正月明けに他界した小学校時代の恩師のことから、ふとふる里関連ネット情報を探すうち、「おくやみ情報ひだ」なるものが目に付き、初めて閲覧。と、年末年始の僅かな間に恩師以外にも知り人が3人旅立っていたことを知らされた。一人は熊崎亮太郎(97歳)、同じ村で小さな食料品店を営み、よく僕の実家にもオート三輪で配達に来ていたのを見掛けた親父だ。屋号は「いずみや」。通りに面したその屋の2階に、小学校の教員だった母が下宿していて、仕事帰りに通り掛かった郵便局員の父が2階の様子に気を取られた挙句、路傍の郵便ポストに激突したと、親戚の誰かに聞かされた(伝説が事実だったかは、本人たちには確認しなかった)。


 あとの二人は中学時代の同級生で、女性の進藤 (こう)79歳)と谷川教右衛門(きょうえもん)79歳)。前者(写真の女生徒)とは、思えば卒業以来一度としてまみえることがなかった。在学中に一度でも言葉を交わしたことがあったかどうかさえ覚えていないが、ただ写真を見ると3年を一緒に学んだという懐かしさが胸を衝く。一方、教右衛門(集合写真の後列左端。一人おいて僕)には卒業後一度だけ会ったことがある。頃はおそらく20歳前後、山中の鄙びた部落に住む彼の家に泊ったはいいが、彼とその兄に(初めての酒を?)無理強いされた。途中兄が僕を羽交い絞めにして、教右衛門がどんぶり酒を僕の口に注いだような記憶がぼんやり残っている。眉の濃い、まるで昔の侍みたいな男っぽい奴だったのに、恩師のあと1カ月足らずで居なくなっていた。


 僕の地球はまたぞろぐんと小さくなった。この文章は、その目に触れるであろう、五指に満たない同級生たちに捧げたい。



2024214日)